戦後80周年を迎えた。このタイミングに日本と平和について考えてみたいと思う。まず、2025年8月15日付の朝日新聞社説「法の支配 守り抜く覚悟」について紹介しよう。
社説では、戦後80年の節目にあたり、国際社会が掲げた「法の支配」(権力をもつ人や国も法律に従わなければならないという原則)が後退しつつある現状に警鐘を鳴らしている。80年前、世界大戦の悲惨な教訓を踏まえ、武力の行使を禁じ、あらゆる国が法によって正義と秩序を守るとの誓いを立てたにもかかわらず、現在、「力の支配」に押され影を潜めている、と。特に、国際刑事裁判所(ICC)を例に、米国やロシアが圧力を強める中でICCが揺らいでいる状況を挙げて紹介している。ICCがパレスチナ・ガザの戦闘に関与したイスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を発した件に対し、米国はICC関係者に制裁を課し、ロシアはプーチン氏に対する逮捕状を巡り、ICC関係者を指名手配するという事態に至った。日本にとって「法の支配」は繁栄と安全保障の基盤であるとし、米国への依存を再度考え直し、自由貿易や外交を強化すべきだと論じている。日本はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の推進などでリーダーシップを取るべきであり、米国に対しても必要に応じて批判する姿勢が求められるとしている。最後に、ICCに日本人所長(赤根智子さん)が就いたのは、日本が平和主義を貫き、「法の支配」の重要性を世界に発信してきたことへの評価であり、戦後80年にあたる今、日本がその守護者としての役割を果たす覚悟が問われていると文を結んでいる。
ちょうど前日(8月14日)の夜、私は娘とともに実家を訪ね、実父とこの話について論を深めていた。私は『日本が世界平和をリードするべきだ』と考える。日本は先の大戦で多くの犠牲を払い、そこから多くのことを学び、日本国憲法の下国民の不断の努力によって80年間の平和を築き上げてきた。しかし、この80年間の中では米ソ冷戦による朝鮮戦争やベトナム戦争、アラブ諸国における中東戦争、そして現在のウクライナ紛争やガザ紛争…。今挙げていない争い(内戦など)も含め、常にどこかで戦争が起こっているというのが世界の情勢だ。第一次世界大戦後に国際連盟、第二次世界大戦後に国際連合を設置したにもかかわらず、今までの状況を鑑みると、その機能の限界を感じざるを得ない。暴力がいけないことであるのは世界中の多くの人が理解しているはずだが、今までの人類史上ずっと、力があるものが力によって世の中を支配している。今世界でアメリカが一番発言力のある国になっているが、それはなぜか?答えは簡単。世界で一番強い国であるからだ。強いとは“軍事力”のことである。でもそれはおかしくないだろうか。正しい行動をとる国それがリーダーなはずだ。その法則は国であっても人であっても同じだ。
日本は「法の支配」という正義・秩序をもって、今国連安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ・中国・イギリス・フランス・ロシアに対抗する旗をもつ存在になり得る。そもそも200以上の国と地域が存在する世界において、80年間ずっと5つの国が特別な権力をもつのはちがうのではないだろうか。拒否権【国連安全保障理事会の決定(たとえば制裁、平和維持軍の派遣、武力行使の許可など)には 15理事国中9カ国以上の賛成 が必要だが、常任理事国のいずれか1カ国でも反対すると、その議案は成立しないという権限】の制度も問題があろう。日本は唯一の被爆国であり、経済的にも豊かで戦後国際的貢献を数多く果たしており、東南アジアや中東、アフリカからも正しい国であるという理解をされている。また、今のイスラエルのパレスチナへの侵攻についても、ヨーロッパにおける複雑な事情が絡んでいることを知ることで、さらに日本の力が必要なことが分かる。イスラエルに対して、イギリスやフランスを含むヨーロッパの国々が「強く言えない」背景には、複数の歴史的・政治的・経済的な要因が重なっているのだ。ひも解いてみるよ。
1. 歴史的責任とホロコーストの記憶
第二次世界大戦中、ユダヤ人がヨーロッパで迫害され、約600万人がナチスにより虐殺された。戦後ヨーロッパ社会には「二度とユダヤ人を迫害してはならない」という強い道義的意識が根づき、イスラエルの存在を正当化・擁護する空気がある。特にドイツはその責任からイスラエルへの軍事・経済支援を続けているし、イギリスやフランスも、強い非難をすると「反ユダヤ主義」と見なされるリスクを常に意識している。
2. ヨーロッパ内部の政治的事情
ヨーロッパ各国には大きなユダヤ人コミュニティが存在する一方で、移民としてのアラブ系・イスラム系住民も多く、パレスチナ問題への立場をめぐって社会の分断が起きやすい構造だ。そのため政府は「どちらか一方を全面的に非難する」と内政的に不安定になるため、そのリスクを避ける傾向にあるのだ。
以上の事情からも、日本という国が世界平和へのリーダーとして十分な立場であることがよく分かると思う。しかし、今の日本には『理念』そしてそれを遂行する『信念』が足りないのではないだろうか。
さて、諸君!この話を難しいことと思わないでくれ。平和は先にも述べたように不断の努力によって維持されるものだ。他人事ではない。平和について考えるために、多くの情報を手に入れ、多くの考え方に触れ、あなたなりの立場をもてる人になってほしいと願う。これからも日本そして世界が平和であるために一人一人の存在が大切なのだ。



コメント
戦争を教育の観点で見ると、
戦後教育のいわゆる「平和教育」が現実と乖離し、リバランスが起きているのだと思います。しかしそれが行き過ぎると、人々は考えることを辞め、都合のいい言葉に扇動されるようになると思うのです。
これは思考停止に陥らせる教育の責任が大きいと思います。
「戦争はよくない」というのは当たり前の話で、これを伝えるのは教育とはいえません。「いじめはよくない」と言ってるのと同じです。
「いじめがおきないためには?いじめがおきそうなときは?いじめがおきたら?」という問題解決を思考させてきたでしょうか。
「戦争が起きない世の中にするためには?起きそうな時は?起きたら?」を教員含めて、全員が必死こいて考えて、知恵を絞ることが平和教育だと思うのです。
そのためにも、やはり「話し合いの力」が必須です。
↑「戦争はよくない」というのは当たり前の話で、(これだけをただ)伝えるのは教育とはいえません。
訂正します。