あなたの身近には“大人物”と感じられるような存在はいるだろうか。大人物とは、「度量や器量、人格、技能などがすぐれた人物。偉大な人物」のことだ。もっと分かりやすく言うと、「みんなに尊敬されている人、リーダーとして人を引っ張っている人、がんばって大きなことを成し遂げた人」といったところ。西郷隆盛はまさに、そんな“とてつもなく大人物な人”だったといえるだろう。
西郷隆盛は、江戸時代の終わりから明治の初めに活躍した人。東京上野にある犬を連れた銅像は有名だ。もともとは薩摩藩(現鹿児島県)出身で、江戸時代を終わらせた立役者だ。思いやりがあり、自分よりも周りの人を大切にし、たくさんの人に愛された人物。年下の子に対しても偉そうにせず、みんな公平に接する、体がとても大きくて心身ともに丈夫。もうそれは子どもの頃かららしい。薩摩藩はとても熱心に教育が行われた地域で、15歳で元服(成人になるということ)した隆盛は、後輩の教育係として、読み書きや武術を教えていた。「負けるな、ウソをつくな、弱いものをいじめるな、これが薩摩武士の三つの戒めだ!」と言っていたそうな。18歳になり、農民を管理する仕事についた隆盛は、年貢の取り立てに苦しむ農民の気持ちに寄り添い、理解しながら熱心に仕事に取り組んでいた。そして、上に書いた「弱いものをいじめるな」という薩摩藩の教えを守っていない藩のお偉い方たちに対して憤りを感じ、武士だけでなく農民を含めたみんなのために薩摩藩を動かしたいという思いを強くもつようになる。
薩摩藩の下級武士の家の長男として生まれた隆盛がこうして少しずつではあるが藩内で力をつけていた。そしてその後、さらに隆盛の価値を高める人物に出会うことになる。それが、薩摩藩主の島津斉彬だ。斉彬が藩主になると、隆盛が出した意見書を気に入り、隆盛は斉彬の身のまわりの世話役を務めることになる。藩のトップである“お殿様”の世話役になった隆盛は、参勤交代で江戸への道や江戸での生活のお供をする。時代の先を見て新しい改革をどんどん進めていこうとする稀代の明主である斉彬によって、隆盛は一流の人物と出会う機会を多く与えてもらうことになる。学者の藤田東湖や越前藩士の橋本左内など。そして斉彬の「次の将軍に一橋慶喜(のちの徳川慶喜)がなるように」という指示の下、京都にいる重要な人物とも出会って親交を深めていく。
隆盛は、斉彬の死や幕末の動乱の中で島流しにあうなどの不運もあったが、薩長同盟を薩摩藩の代表として締結したり、戊辰戦争(旧幕府軍と新政府軍の戦い)では新政府軍のリーダー的存在として勝利をおさめていく。江戸を総攻撃する前日に旧幕府側の勝海舟と会談し、「これからの日本のために江戸の町を、人々を守り一つの国としてまとまらなければならない」と考え、新政府軍の方針を”自ら腹を切る覚悟をもって”、江戸の総攻撃の中止を決断した。目先の勝ち負けではなく、将来を見通した”史上稀に見る英断”だったと言われている(江戸城無血開城)。「敬天愛人」つまり「天を敬い、天が自分を愛してくれるように、私もその心で人を愛する」という教えを胸に、敵味方関係なく、新しい日本をつくっていこうと決意する。新政府の参議に任命された隆盛は、「学制の公布」や「徴兵令」「地租改正」など新しい制度を次々に進め、日本の近代化の礎を築いていく。
その後鹿児島に戻り、新政府のやり方に不満をもつ士族(江戸時代に武士だった人たち)のリーダーとなり“日本史上最後の内乱”である西南戦争を起こすこととなる。新政府の攻撃によって劣勢になり、銃弾を腹に受けて倒れる隆盛。最期に自分自身に問いかけるシーンがある。「これまでわたしは多くの人の死を見送ってきた。新しい時代のためにたくさんの命が犠牲になり、ついに自分の番が来た。はたしてわたしは天に恥じない正しい道を進んでこられだろうか…」と。
西郷隆盛はこんな言葉を残しているとも伝えられる。『命もいらぬ、名誉もいらぬ、金もいらぬ。このような人でなければ大きな仕事をやりとげることはできない』
隆盛の生き方から本当に多くのことを学ぶことができる。“人を大切にすることで道が開け、大きな心で物事を見れば迷った時に正しい判断ができる”と。西郷隆盛のような器の大きな人、坂本龍馬のような新しいことを悠々自適に進めていく人、中岡慎太郎のような実務に長けている人、人にはその人のタイプというものがある。目先のものに囚われているようじゃ、大きなことなんて決してできない。いや、大きなことどころか、普通のことも成し遂げられないかもしれない。西郷隆盛の伝記一度読んでみてほしい。今回も集英社の学習マンガ世界の伝記NEXTを参考に書かせてもらいました。日本にそして世界に大人物と言えるようなリーダーが出てきてほしいものだ。



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