あなたは学校が好きだろうか?それとも、あまり好きではないだろうか?好きではない人の大きな理由の一つに「勉強」が挙げられる。勉強は覚えることが多くて、中学生なら受験のために“学ばなければならない”という義務感が一層窮屈さを増幅させている。
私は小学校の先生をしている頃に、「宿題って出して意味あるのかなぁ」とよく考えていた。学校によくある風景として、宿題を出さない子が休み時間にやっている(やらされている)というもの。見たことある人は多いと思うし、実際やらされていたという人もいるだろう。正直、私もそのシステムでやっていたことがあったが、なんか虚しい気持ちになっていた。自分のための勉強なのに、先生が“やらせる”ことによって、その子から“学ぶ主体が自分であるという自覚”を奪ってしまっているように感じていたからだ。問題はシステムなんだと思う。以前このブログでも伝えたことがあるが、「ゴールをどのように設定するのか」や、「勉強のやり方」こそが、本当の学びを追求するうえで必要なのだと思う。
それでは、この2つについて私の考えを展開しよう。
1.ゴールをどのように設定するか
学習を定着するためには、「テスト法」つまりテストを行い、自分の習熟度を確認するという今の方法は脳科学的にも理にかなっているので、テストをするというスタイルはこのまま続けたらいいと思う。小学校でよく使われている「先生じゃなくて業者が作っているカラー刷りのテスト」。あれは基本的な問題しか出ないから、あのテストで90点以上取らないと、次の単元に行けなかったり、その単元は不合格というレッテルを貼られて、その単元を長期休暇中に再テストしたりするなどの方法もいいと思う。日本の学習スタイルが今後も今のように一斉授業をメインで行うのであれば、単元の進度が違うと授業に差し支えがありそうだが、せっかくタブレットが一人一台あるのだから、できる子はどんどん進んでいくのもいいだろうし、出来ていないのに次に進むのは長い目で見てあまり効果的な学び方ではないように感じる。
あと、そろそろ漢字テストをするのをやめてもいいように思う。むしろ“読み方”と“意味”は重要だから、それに特化した学習の方がよっぽど“明るい未来”があるように感じてしまう。私もいちおう採点の基準に則って「止め」「はね」「はらい」がちゃんとできているか意識した採点をしていたが、必要だとは思いながらも(まぁ手書きがなくなるわけではないからね)、そんなに労力を使う必要があるのだろうかと、ずーっと疑問に思っていた。世界中の人に笑われそうでしょ。学習の本質を分かっていないって。勉強嫌いな子をつくろうとしているのかって。だから、テストというシステムは必要だとは思うけど、ゴールであるテストの“在り方”をどのように設定するのかというのは、学校の大きな課題なんだよね。大人ももっと考えなきゃだよ。
2.勉強のやり方
上にも書いたことに通ずるんだけど、あなたは宿題をやる時にちゃんと考えながらやってる?学校の授業では考えているかもしれないけど、宿題って、出され方によって考えることをやめてしまっている人って多いんだよね。例えば漢字ノートの宿題。やってる途中から覚えるという感覚なんてない。ただ決められたように書いているだけ。思考は停止している。思考が停止した勉強なんて、ただの時間の無駄遣い。だから、漢字ノートを決められたように書くっていうのは、本当に“悪”でしかない。10年くらい前から、漢字ノートや計算ノートが漢字・計算ドリルとセットになっているノートが世に出始めた。でもあれってやり方が決まっているから作業としては楽なんだけど、子どもたちの思考を完全に停止させた。あのノートって、“先生の都合”に業者さんが合わせて作ったものだと思う。同じようにやらせたい先生の都合。そして思考を停止して決められた通りにやる子どもたち。勉強は常に考えなければ身に付かないし面白さなんて味わえない。学びのスピードが極端に遅くなってしまう。だから、ドリル用のノートは、(小学校3年生以上なら)絶対に方眼ノートでいいと思う。
と、まぁあれこれ勝手なことをダラダラ書いてみた。みんなは、児童・生徒という立場だから、そんな学校のシステムを変えることは難しいかもしれないけど、意見として言ってもいいと思う。私は私なりに学校に働きかけようと思う。今の学び方古くないですか?そろそろアップデートしないと日本ヤバいですよ、と声を出していくことにする。あなたは“良き学習者”として、学校のスタイルに左右されないような『本質をとらえた学び』を追求する人であってほしい。そう考えると、やっぱり読書や新聞などのインプットそして、持論を展開できる討論(アウトプット)の場が必要だよね。よし、それも私なりに検討するとしよう🎵



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