毎日、一喜一憂。楽しいこともつらいことも。なかなかプラスのことばかりが起きないよね。そんなもんだ。ひょっとしたら、プラスのことに慣れてしまっているから“普通の基準”が上がって、周りの人から見たらプラスのことでも、自分では「ダメだ」と思ってしまっているのかもしれないね。そんな時こそ一度立ち止まって深呼吸。そして瞑想。瞑想は「心を静めて無心(何も考えない状態)になり、自分自身と向き合うことで心と体のバランスを整えること」(詳しくはネットで!)。
今回はこの一喜一憂の「一憂」の方に注目しよう。憂い…つまり「思うようにならなくてつらい気持ち」について。嫌なことがあって気分が沈んだ時、多くの人は自分の持っている力、パフォーマンスが落ちる。プロスポーツ選手がプライベートで悲しいことがあり散々な試合結果になってしまう、なんてことはよくある話だ。でも、有名でテレビやネットに出ている人たちってすごいなって思う。だって、そんな内面でも周りから見たら分からないくらいに、自分のやるべきことに向き合っているから。この精神力というか、ブレない心や行動力があるからこそ有名になったり、人前に出ていたりするのだと思う。ただ、これを“特別なこと”ではなく、そのまま真似はできないにしても少なくとも“参考にすること”だと捉えてほしい。
こんなこと今までにない?「嫌な気持ちがあったから、宿題を適当にやった」「いつもは仲良く話している友達に、家で悲しいことがあったから冷たく対応した」…うん、ある人の方が多いのでは?
この場合、2つの問題が生じる。
1つ目は、「自分の人生にブレーキをかけてしまうきっかけを残すこと」だ。例えばむしゃくしゃしているタイミングで学校の算数/数学のテストがあったとする。解答用紙の名前をテキトーに書き、本来なら粘り強くやったら解けるかもしれない問題もサラッと済ませる。テストが返ってくるのは基本翌日以降だろう。後日テストが返ってくる時には、あなたの心はテストを受けた時とは違って晴れていたとしよう。でもその算数のテストは「汚い字」と「悪い点数」(と、ひょっとしたら「先生の注意コメント」)という“負のオーラ”を保ちつつあなたの手元にやってくる。せっかく晴れた気持ち、プラスの心にブレーキをかけるかのように襲いかかってくる。他にはこんなことも…私の経験から。私は中学校2年生の時に勉強を疎かにしている時期があった(思春期で反抗期だもの^^)。中学3年生はいわゆる“受験生”ということもあり、それなりにできていたのだが、中2で適当にしていた範囲が受験シーズンに“負のオーラ”をもって襲いかかってくるのだ。当然自分の責任だから、「ちゃんとやってればよかった」という後悔も先に立たず。どれだけもみ消そうとしても、『自分がしたことは自分に何かしらの形で残る』という教訓だ。
2つ目は、「相手がいること」だ。車で例えるとしよう。あなたが車を運転していると仮定して、むしゃくしゃした心で荒い運転をしていたとしても、他に誰もいない世界なのであればまだ被害は大きくないかもしれない。でも、“大きな”交通事故が発生する時というのは、お互いが不注意という“偶然と偶然が重なり合うタイミング”であることが多いのだ。話を戻す。現実の世界であなたが自分の不機嫌さを出し、学校で友達に対して冷たく接したとしよう。いつもなら大丈夫な程度だと思いきや、それが理由で関係がギクシャクしてしまった。そう、その時相手の心もあなたと同じように“不機嫌”だったのだ。こんな人間関係の“事故”も、お互いの“気持ちの状態”がたまたま不安定同士であったがゆえに“大きな”問題へと発展してしまうことがある。車はお金を払い、修理をすれば何とかなるかもしれない。でも人の命や心、人間関係は(なかなか)取り戻せない。だからこそ、今回のテーマ“いちおう、やっておく”ことって大切なんだ。
「嬉しい」や「悲しい」の感情を押し殺す必要はない。感情こそが“人間らしさ”だ。今回伝えたいことは、「負の感情の後の“心と行動の在り方”に注目してみよう」ということだ。負の感情が生まれた後に負の行動を起こすことは”○ぬほど”コスパが悪い!あえて強い言葉で言ったが、とにかく嫌なことがあれば、深呼吸することを習慣にして自分の状態に向き合う時間をつくろう。それが結果としてあなた自身そしてあなたの周りの人を大切にすることにつながり、さらにあなたの仲間(あなたを真剣に応援してくれる人)を増やしていくだろう。
”普通のことをやる”というのは、自分がいつもやっていることのレベルを下げないことだ。下げなかったら、勝手に成長していくんじゃないだろうか?そりゃそうだ、下げないんだから♪



コメント