学校に行くと、「友達に優しくしましょう」「ルールやマナーを守りましょう」「マイナス言葉を言わないようにしましょう」「暴力をふるわないようにしましょう」このようなことを何度も先生たちに言われたことがあると思う。今挙げた4つの言葉のうち、前の2つは“正しい行動”を勧める言葉であり、後の2つは“よくない行動”を禁止する言葉だ。学校という“一つの社会”において、あなたはどんな行動をしているだろうか。
作家芥川龍之介の代表作の一つ「蜘蛛の糸」では、主人公の極悪非道の犍陀多(カンダタ)が、死後地獄に落ちることになるが、生前に唯一行ったよいこと「一匹の蜘蛛を助ける」という行動から、極楽(天国)にいる仏陀(神様のような存在)が犍陀多を救おうと、一本の蜘蛛の糸を地獄に垂らす。犍陀多はその糸を掴んで地獄から脱出しようと登り始めるが、他の地獄の悪人たちもその糸を登り、犍陀多の後に続こうとする。それを見た犍陀多が「これはオレの糸だ!助かるのは自分だけだ!」と叫び、蜘蛛の糸を独占しようとする。その瞬間、糸は犍陀多のすぐ上の所で切れ、再び地獄に落ちてしまったという話だ。
ある視点から見ると、この話はあまりにも”お人好し”な話だと言えよう。生きている間に極悪非道の罪を犯した人が、たった一度でも良いことをしたからといって極楽に行ったら、普段いいことをして過ごして極楽に行けた人たちからすると「そりゃないだろう…」と思ってしまうかもしれない。そんな奴が自分たちと同じ極楽にいたら、たまったもんじゃない、と。
そもそも、この「蜘蛛の糸」という話は何を伝えたいのか(芥川龍之介の作品は、「人間」というものの本質をとらえたテーマをもっているから)。『他者への思いやりの大切さや、自己中心的な行動が自らを破滅させる』というメッセージが読みとれる。
人間には誰しも心の中に「善」と「悪」をもっている。小学生や中学生であれば、当然のことだし、大人だってそうだ。人間は欲深い。でもそれはルールやマナーなど“社会規範”によって抑制されているとも言える。「コンプライアンス」という言葉を聞いたことがあるだろうか。日本語に訳すと「法令遵守」。法を守ることは大切であり、それによって安定した世の中が保たれるから、学校のルールやマナーは当然のように守ってほしい。“ブラック校則”と言われる無意味なきまりは、“正しい手続きに則って”よりよくしていけばいい。先生たちに訴えることや、生徒会や児童会に訴えるのも正しい方法だろう。勝手に破るということは世の中であっても、学校であってもよくないから気をつけよう。
あなたは自分の中にどんな「善」と「悪」をもっているだろうか。善で言えば「人に優しくしてあげられる」「大きな声で発言ができる」「忘れ物をしない」「言われたことに素直に対応することができる」「人にプラスの声かけをする」「論理的に物事を考えられる」など。逆に悪で言えば「つい悪口を言ってしまう」「嫌な気持ちを態度に出してしまう」「教室で走ったり暴れたりしてしまう」「やらなければいけないことを後回しにする」など。誰だって、つい悪口を言ってしまいそうにはなるだろうし、嫌な気持ちが顔に出てしまいそうになるし、暴れて発散したい時もあるだろうし、のんびりして現実から離れたいと思うことだってある。自分にとって“甘えられる場所”ではそうしたらいいだろうが、学校は“それなりにやる場所”であるべきだと思う。理由は、「学校は社会の一部だから」だ。「学校で頑張ることがストレスにつながる」ことが問題なのではなく、そもそも「学校はそれなりに頑張る場所だ」という自覚がないことに問題があるように思う。
どれだけ善(〇)の行動があっても、悪(×)の行動があるといけない。それは、大人がどれだけ社会的にいい活動や仕事をしていても、悪の行動(犯罪)などをしては社会的信頼を失うのと同じだ。学校は甘える場所ではないと自覚し、悪(×)を徹底的に無くす。そして、それぞれの人の中にある善(〇)を“人のために使えるか”が『リーダーの素質』と言えよう。「勉強ができること」や「素直に受け答えができる」、「真面目である」というのは、リーダーに必要な素質ではない。「人にどれだけいい影響を与えられるか/行動で示せるか」という視点で、真のリーダーを目指せるのであれば、ぜひあなたにも目指してほしい。
まずは自覚すること。意識を高めて、学校生活で善(〇)を周りに送りまくる人になろう!



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