オリンピックと生涯スポーツ

学校

 7月26日から8月11日まで、フランスのパリで夏季オリンピックが開催されている。日本が強い柔道やフェンシング、水泳などが前半の日程にあり、初めから大盛り上がりだ。柔道は明暗の別れるスタートだった。女子の角田選手は元々の適正階級である52kg級から一つ下げて、見事金メダルを獲得した。一方、永山選手は、微妙な判定によって一本負けを喫し、その後は3位決定戦で見事勝ち、銅メダルを手にした。この判定に対してSNSで大きな話題となったが、外野である私たちがどうこう言う話ではないし、誰かを非難する必要もない。選手やコーチも含めたチーム、審判も含めた大会関係者が当事者なのであって、当事者たちを追い詰める発言はナンセンス(生き方としてセンスがない=ダサい)である。自分が学生時代に部活動等で行っていた種目がオリンピック種目であると、それに対してより熱をもってオリンピックを見てしまう。ほとんどのスポーツに共通して言えることは、人間が審判をしており、完璧なジャッジというのは難しいということだ。オリンピックではないが、メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手が、審判の判定に対して文句ばかり言う人であったとしたら、あなたは大谷選手のことを好きになるだろうか。審判はできる限り公平・公正であるべきだが、人間がやっている以上限界もある。それなりにスポーツ・部活動を頑張ってきた人なら、“理不尽なジャッジ”の洗礼を受けたことなんてたくさんあるはずだ。4年に1度であり、自国民からの期待も背負っているからこそ、“絶対に負けられない”という思いが先行してしまうものだが、最優先事項は“スポーツマンシップ”でありたい。
 実際、今までスポーツ界には、より公平・公正を求めた歴史がある。例えば陸上の花形種目100m。昔は手動のストップウォッチでやっていたというから驚きだが、今ではさまざまな機器を使って正しく計測されている。私たち視聴者もテレビで見ながらゴールの瞬間の写真を見て、誰もが納得いく情報を提供してもらっている。水泳もゴール地点の壁にスイッチが内蔵されているので、誰もが結果について認めることができる。すっかり日本のお家芸となっているフェンシングなんて、機械の感度(精度)の向上により、絶対に今のやり方のジャッジがいいし、人間が触ったかどうか判断する余地はない。冬季オリンピック種目である「フィギュアスケート」では、昔は「6.0」を満点とする採点方法であったが、その選手の知名度や演技の構成からの”出来レース”のような感じだったので、今の「この技は〇〇点です」「転倒すると〇点減点」などと明確になることによって、選手も納得いく判定ができている。つまり、スポーツ界のジャッジは進化している最中である。だから、オリンピックを外野が言いたい放題言う場所にするのではなく、「私たちもスポーツ(特にジャッジについて)をより進化・成長させていくために知恵を出す一人」としての自覚をもち、建設的な意見を提供する存在でありたいと願う。

 さてさて、こんなテレビのコメンテーターが言いそうなことばかり言っていてもこのブログの価値がないので、実のある話をしよう。

 多くの日本の国民は中学/高校生まで部活動に取り組み、その後は頑張っていたスポーツや吹奏楽であれば演奏などに一切触れず、”観客”の立場になることがほとんどである。このタイトルのように生涯スポーツスポーツと共に生きる)という生活をしている人の割合がとても少ない。その理由の一つとして、部活動を“勝ち負けをつけるもの”という考えで行っているという性質が挙げられる。オリンピックに出ている人たちはいわゆる“勝者”であり、学生時代に部活動で大きな成功を収めた人たちだ。そしてそれ以外の人たちは“勝ち負けにこだわったにも関わらず敗者になった人たち”と言うこともできる。だから、その後の人生で自分が青春時代に精を出した部活動が“生涯続けたいもの”にならないのだ。”嫌な思い出”になっているのだから。“楽しむ”という視点がもっとあれば、“勝ち負け”に囚われず、『自分のペースで』取り組むことができるように思うのである。勉強でもそうだと思う。もっと“自分のペース”を大切にした学校の制度設計が大切なのである。

 部活動も学校の先生の負担もあるだろうから、学校(というよりは先生)から切り離すという発想は大切である。ただ、もう私の住んでいる地区だと、来年度(2025年度)の8月で部活動が終わり、地域の生涯スポーツに移行することになるので、少し寂しさなんかも感じてしまう。先生が教えなくてもいいので、“学校”という単位は残してもよいのでは…という意見もあり、地域によっても事情が違うので、非常に難しい問題である。私は、少子化も進んでいるので、学校単位では限界を迎えているところから考えると、自治体くらいの規模で取り組めるといいのかなと思っている。

 中学校でも高校でもそうだが、正直、学校教育が目指す“人格の完成”なんて今の教育制度では無理な話だ。でも今は自分で自分の道を決める“選択”の時代。誤った選択をしては人生がとんでもない方向に進んでしまうが、自分にとって“理想な生き方”を見つけようとする“意志”をもとう!学校の勉強も大切であり、生のものに触れ・体験する活動も必要だろう。本や新聞を読んだりして同級生とでは味わえない考えに触れるのも大事だ。自分のペースで理想とする生き方をつかみ取ろう。そうすることで、タイトルにある生涯スポーツとの距離もググっと近くなるのかもしれない。スポーツの楽しさや喜び、そして健康で文化的な側面も考えると、体を動かすことって素敵だからさっ♪

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