あなたはどっち?

生き方

 何か用事がある時に、「計画を立てる人」「計画を立てない人」がいる。例えば旅行に行くとして、計画を立てる人はきっと“無駄をなくしたい”“その地の良さをできる限り楽しみたい”という思いから計画を立てるのだろう。計画を立てない人は“計画を立てるのがそもそも好きではない”“流れに任せても十分に楽しめる”といったところだろうか。今回は2つの状況を例に話を進めようと思う。

 一つ目は、お出かけ先での話。このゴールデンウィークに私の家族は県外のある施設に日帰りの旅行に車で出かけた。妻が計画を細かく立ててくれており、私はそれにただただ従う形だ(もちろん私が旅行全体を計画することもあるからねっ♪)。高速道路を降りて、あと10分で目的地に着くというところでアクシデントに見舞われた。二人姉妹の長女の方が乗り物酔いで嘔吐してしまったのだ。しかも持っていたエチケット袋も空しく、自分の服と座席に思いっきりやってしまった。まぁ起きてしまっては仕方のないことだ。処理をして座席をそれなりにキレイにしたのがだ…、長女の替えの服がないっ!
 ということで、その地にあるショッピングセンターに直行。その時、計画を立てていない私は、「今できる最善のことをやる」ということに集中できていた。しかし、計画を立てていた妻は「あぁ、予定が台無しになってしまう…」という心のモヤモヤが生まれてしまっていた。せっかく立てた予定だ。(吐いてしまったことは)仕方のないこととはいえ、残念な気持ちは残るものだし、人によっては切り替えるのに時間がかかる人もいるだろう。「こんなアクシデント、笑い話になんてできないっ!」と。こういうケースはしょっちゅうあることではないのだけれど、じゃあ計画を立てなかったら良かったか?と言えば、そういうわけでもない。特に旅行においてはね。

 二つ目は、私が教員をしていた頃の話。ある年に、新任(大学を出たばかり)のA先生と学年を組んだことがあった。運動会の学年練習をする時のことだ。そのA先生に任せていた部分(徒競走)の準備・計画を本人が立てようとしている様子ではなかったので、事前に「ちょっと打合せをしようか」と声をかけ、翌日に控えている学年練習の計画を一緒に考えた。でも、A先生はそれ以上に自分だけで再考することもなかったようで、私に言われたこと“のみ”で子どもたちに練習の指示をしていた。結果、打合せでは確認できていなかったことを私や他の先生が走り回ってフォローすることになった。まぁ何とか学年練習は無事終了。その日の夕方。私はそのA先生に「準備とか計画を立てなくて大丈夫かな、とか不安だなぁって思わないの?」と尋ねてみた。するとさすが今時の若者。「今まで何とかやれてきたので。」と返された。笑ったらいいのか、注意したらいいのか…。教育的立場として後者を選んだが、仕事をナメとんのかと思ったエピソードだ。こういう状況に関しては計画を立てるべきだと思う。

 計画を立てる/立てないという線引きは人それぞれなのだが、“人に迷惑をかける”とか“絶対に困る”と時前に分かっている時は、計画を立てる方がいいのではないだろうか。

 教員の頃の話を追加で言うと、私は”授業の準備をほぼせずに、教科書を見て行き当たりばったりでやる”というスタンスの先生が嫌いだった(嫌いと言うか好きにはなれなかったという程度です)。授業なんて考えればキリがないし、小学校の先生なんて空き時間がない日も普通にあるので、毎日5~6時間分の準備をするというのはかなり大変なことである。だから、効率的に授業の準備や計画をする必要がある。しかしだ。準備・計画を立てないというのはさすがに違う。しかもそんな先生によく多いのが、サラッと終わってしまうので、丁寧にされている先生よりも授業の進み具合がはやい。そして雑談や授業に関係ないことををよ~くする。子どもたちからすると「面白いからいい」となってしまうのだが、私はそんな先生にはなりたくなかったので、時間を決めてサッと準備・計画を立てるタイプだった。

 計画を立てると”思うようにいかない””理想と現実のギャップに悩む”こともある。でもそれは、理想や計画の”立て方”が間違っていることが原因だったりする。何度も『計画→実行』を繰り返していくと、それなりの精度の計画・準備ができるようになってくるはずだ。ただ、計画を立てるのがいかに上手くなっても、どうしても起きてしまうアクシデントから計画通りに進まない、なんてことはたくさんある。その時は『やれることはやってきたんだから、今も、“今やれること”をやろう』という心理状態で目の前のことに向き合っていけばいいのではないかな。私的には『No plan,No life』でございます☆

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