外に出よう

生き方

 新学年になり早1か月が過ぎた。新しいクラス、環境には徐々に馴染んできただろうか。5月になると少しネガティブなこんな言葉が頭をよぎる…「五月病」。聞いたことがある人もきっと多いはずだ。なんとなく「5月になるとモチベーションが下がるってことでしょ」というくらいの意味は知っているだろう。この五月病はもちろん正式な病名ではない。もともとは「大学入試のために必死に受験して合格した人が、だいたいゴールデンウイーク明け頃に無気力な状態になること」から生まれた言葉のようだ。ゴールテープを切ったのに、その後走る理由なんてないよねってことだね。

 私はこのブログを書いている中で、自分の人生にも大きく当てはまっていたことだなぁと感じた。高校受験では無事第1志望の学校に合格することができたが、“なぜその学校に行きたかったのか”そして“高校で何を学びたいのか”というその先のビジョンを全くもっていなかった。まぁ多くの高校1年生なんてそんなものだろうけどね。そんなモチベーションの状態の中で、ビックリするくらいの学習量が目の前に飛び込んでくるのである(高校の学習量は中学校とはレべチですね…)。「もう高校生なんだから、友達と学校帰りに遊びに行ったり、好きな子と一緒に帰ったり…中学校の頃とはちがった“華やかな”時間を過ごせるものかと思っていた。中学校までの学習をそれなりに理解しながら進めてきていた自分としては、「この学習量を理解しながら進めるには、毎日勉強を中学生の頃以上にしなければいけないから、イメージしていた高校生活なんて絶対に無理じゃん」と思い、絶望の淵に立たされていた。そして何より、その勉強量をこなすだけの“理由”が自分には無かった。高校では部活もやっていたし、友達関係も大切にしてとても楽しい思い出ができたが、勉強に関しては『イエスorノー』の価値観であったがゆえに、「中途半端に理解するくらいならやらない」と決めて、家庭学習はしないし授業中は寝ているし…という有り様だった。高校3年生の部活の夏の最後の大会を終え、さすがに大学受験が見えてきてからは、“何のために勉強するのか”という理由ができたので(といっても大学に合格するというちっぽけな理由)、そこからはそれなりに頑張って受験勉強に突き進んだ。

 とは言え、大学受験を終えて大学生になった私は、結局高校1年生の時と本質的には同じ生活を送っていたように思う。結局ダラダラ過ごしてしまうと、本当にもったいない時間をただただ浪費しているだけになってしまう。“自分がどうなりたいのか”ということを、今のうちから考えておくのは素晴らしいことだと思うよっ。

 私はこの人生の経験からいくつかの教訓を得ている。

 一つ目は、高校生の時の膨大な学習量を目の前にして勘違いしたことだ。そもそも私の中で「やるなら完璧にしたい」という気持ちが少なからずあった。その意気込みは否定しないが、今の自分なら「時間を決めて、その中で最大限に努力をしよう」と考えるだろう。どれだけ気持ちがあっても時間は毎日24時間で、ひとそれぞれタイプもある。高校生活に限らず自分が持続可能な方法で学びを進めていくことはとても大切だ。だから、とにかく日々コツコツやることに集中すればよかった。できてもできなくても、やれる範囲で頑張る。続けられるペースで続ける。これに尽きる。今の仕事へ対する自分なりの哲学にもなっている。

 二つ目は、自分の当時の“世間の狭さ”だ。今私は子育てパパでもあるので仕事や家事、さまざまな活動の中で1日に1時間程度ある自分の時間を読書や趣味に費やしている。最近読む本の選び方は“古くてもいいからベストセラー”。ジャンルによっては古いより新しい方がいいこともあろうが、ベストセラー(たとえば50万部以上売れているとか)はそれなりに理由があるので、ハズレの確立が低い。「この本にもっと早く出会っていれば、自分の人生もまた変わっていたかもしれない」とか「この本が出版されたのは自分が中学生の時だから、アンテナ高い人は読んでいたんだろうなぁ」と思うこともある。でもそれは自分の責任だ。言い訳のしようがない。

 だから、このGW。特に用事がなくて基本家にいてもいいと思う。でも心まで閉じこもって、当時の私のように狭い世間の中にはいてほしくないな。五月病は風通しの悪い心に巣食うものだと思う。自分だけで世界を広げるなんてたかが知れている。テレビでも本でもいい。ちゃんと良いフィルター”がかかった情報をインプットして、心を外に出していこうじゃないか☆

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