「本物に触れた方がいい」という言葉は、世の中でよく言われている。「自分がレストランを開いて、世の中の人たちに美味しい料理を提供するんだ!」と思っている人は、自分が目指したいと思う理想に近いお店にお客さんとして行ったり、料理人としてそのお店で修業をしたりするのも必要かもしれない。お笑い芸人になりたいのであれば、大阪のなんばグランド花月で吉本新喜劇を生で見るのも刺激的だろう。今やステージだけが芸人の輝く場所ではないので、テレビ局が局内のスタジオで撮影している時の観覧席の視聴に応募して、実際に見てみるのも面白い。プロスポーツ選手を目標に掲げている人は、やっぱりその競技場に行って、直に触れることでモチベーションもさらに高まるだろう。
今回の話は、そんな大きな話でもなくて、実は身の回りにも「本物」があるというお話。
私は最近、教師をしていた頃の元同僚と飲み会をした。同僚とはいえ、私が学校の先生になったばかりの時の校長先生だった方、一緒に学年をした先輩、そして仲の良かった後輩、と私の4人。その中でも、当時校長先生をされていた方の話を少し取り上げたい。
新任として「いよいよ教師生活がスタートするぞ」とワクワクしていた15年ほど前の4月、期待と不安が入り混じる中、大きな衝撃を受けた初めての会議。学校の先生たちはだいたい月に1度、職員会議というものを開いているのだが、4月の”始業式までの春休み期間中”は、年度初めということもあり会議が連日のように行われている。そのまさに初回。2~3時間という長時間の会議で、新任の私にとって分からない言葉が飛び交う。資料を見ながら必死に理解しようとするのだが、知らないことが多すぎて全く把握できずにいた。その時!
「おい!それはもう一度考えてこいって言っただろ!全然変わってねーじゃねぇかっ!」という怒号が職員室に響き渡る。突然やってきた緊張感に、「え?どうした?」と私はただただ驚いていた。その言葉の主は校長先生。ちゃんと提案できていない先輩の先生に対して、厳しい指摘が入ったのだ。わたしは「怖っ、小学校ってこんな感じなの?」と思ったのを今でも鮮明に覚えている(もちろん、そんなことはない)。でも、その校長先生は校長として真剣に学校のことを考え、できていないことや間違っていることには、躊躇せずに言葉を発することができる人なのだということをその後一緒に働いた3年間でよく分かった。私も同じような感じで1度厳しく指導を受けたことがあったが、自分の至らなさを実感し、より仕事に対しての自覚が芽生えた良い経験となった。
そんな当時の校長先生と3年ぶりくらいに会ったのだ。退職もされてどんな感じになってるのかなぁと楽しみだったが、期待を裏切らず、目は当時のままギラギラしていた。「あぁ、三つ子の魂百までなんて言うけど、変わってないなぁ」と思った。今まで私が関わってきた学校の先生の中でも、これほど教育に向き合ってきて(厳しすぎるけど 笑)、『信念』をもっている人は見たことがないなと感じている。とても賢い方で、軸がぶれないから、言っていることが変わらない。本当に賢い人というのは『本質(その物事の大切な中心部分)』を見極めているのがよく分かる。結構周りに恐れられていた存在だったけれど、「子どもためだからな」という言葉がたびたび出てくるところに、聞いていて心地よさを感じた。やり方は違えど、教育界にいなくてはならない存在だったんだなと、当時を振り返る。
さて。思い出話が長くなってしまったが、みんなの周りにも、「本物」と言える人はいるはずだ。何かに夢中になって没頭していて、一人でもグングン突き進んでいける人。周りに流されない人。信念がある人。行動力がある人…など。それは、クラスの中の友達かもしれないし、学年は違うけど同じ学校の人なのかもしれない。身近な大人かもしれない。この記事の冒頭で言ったような世間的にも有名な遠い存在の人ではなく、お金を払わないと会えないわけでもない人。きっといると思う。見渡してみてほしい。そして、できればその人と関りをもってみてほしい。きっとその人の「行動」が「言葉」が、あなたの胸にグサグサと刺さるはずだから。そして影響し合って、きっとあなたの心にも「あなただけの火」が灯るかもしれないから。
忘れてはいけないのは、若い君たちは今が人生の『全盛期』だということ。10代は自由だ。そして、自由には責任があることを自覚しよう。1日でも早くから本物に触れた方がいいことは、言うまでもない。



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