私は、今までにも何度も伝えてきた通り、小学校の教師をしていた。働いていた終わりの4~5年間は、教師の仕事の中身のいくつかに疑問をもっていた。
小学校の先生は中学校と違い、休み時間になると、毎日提出される宿題をチェックし、低学年の先生であれば、連絡帳もチェックする。休み時間は本当に”戦争”だ。宿題のチェックがしたくても、その日に空き時間(音楽の先生が自分のクラスの授業をしてくれるなどの理由で、授業をしなくていい時間)がなければ、子どもたちが出した宿題を、全て見ることができないこともある。トラブルが発生したり、相談を受けたりすれば、休み時間なんて“有って無いようなもの”だ。
そんな宿題。あなたではないかもしれないが、クラスの誰かが先生に大きな声で言われていなかっただろうか。「おい〇〇、宿題出てないぞ!出してないなら休み時間にちゃんとやるんだそ!」と。初めの文で書いた疑問は、まさにこの『宿題出せよ案件』だ。宿題は、そもそも、先生が一方的に出すもので、ちゃんとやるものだという暗黙の了解はあるものの、別に双方が約束したものでもない。にもかかわらず、”出さなければならないもの”として扱われ、曜日によって習い事が忙しい子どもたちにとっては、かなりの負担になっていることは間違いない。やる・やらないの選択肢もなければ、今流行りの言葉“個別最適化”でも何でもない。正直、悪しき習慣なんだろうなと思っている。先生が宿題を出すのはいい。でも、それは今学校でやっている学習を、より効果的に身に付けるための補習的な要素であり、決して子どもたちに強制するものであってはいけない。タイトルのように“学びを調整する”というのは、自分に「自由」と「責任」が与えられ、だからこそ「選択」することができる状態を指すのだと思う。宿題は“家庭学習のススメ”的なものとして、「こんなペースで家庭で学習することができるといいですね」というものを示す程度でよいのだろう。学校でチェックする必要もなく、本人(子どもが小さければ保護者も)がどのように学ぶのかを考えたらいいのだ。そして自分で責任をとる練習をするのだ。「〇〇先生は怖いから、宿題を出す」などといった”しょうもない”動機ではなく、自分が必要だと思うから学んでいるわけだ。そこのところを子どもたちに勘違いさせているのは、先生たち学校側の問題だと言えよう。宿題を出さなければ、先生たちも学校生活にゆとりができ、学校のグラウンドでクラスの子どもたちと楽しく遊んだり、雨の日に一緒にトランプをしたりすることができるのだ。(もちろん、職員室で一息ついてもいいですよ♪)
もう一つ。通知表も、先生がやる必要が本当にない。「えっ?マジで言ってんの?」と思うかもしれないが、学校の先生は、小学校であれば、1日のうちに空き時間が平均して0~1時間程度。中学校であれば、空き時間が2~3時間で、その代わりに部活の指導が授業後に続く。8時間で帰るなんて、本当に取「捨」選択しなければ不可能なのだ。そこで、通知表は要らない(というか、在り方を変えるべき)と思っている。
小学校だと、年に2回、4月と1月に学力テストがある。6年生になると、5月に学力学習状況調査というテストもある。そこで、国語と算数の学力を図るのだ。毎回分析した結果が出るので、成績はそれで十分ではないか?もちろん、他の教科の学力も知りたいので、主要教科(国・社・算・理・英)くらいに広げる必要はあると思うが、それは業者にお願いして、先生は授業という本分に全力を注げばよいだろう。もちろん、それぞれの教科における単元ごとのテストはやればいい。でもそれは単元の学習が定着できているか“確認”する程度のものであり、通知表に載せることではないと感じている。
そもそも、小学6年生と中学3年生がやっている学力学習状況調査で世界の学習度ランキングを決めているというのであれば、そのテストでいい点数が取れる力を磨くことが、国として目指す方向になる。目の前の小さなテストにばかり目を向けるのではなく、学力学習状況調査で出される各教科の「本質」を問う問題に立ち向かえる力を養うことを長期的に考えていけばいいのだ。宿題、小さなテスト、通知表などに目が行き過ぎて、本当に大切なことを見失っているというところが、日本の教育界が今後変えていかないといけない部分だろう。
いずれ、今言った方向に変わっていくと思う。みんなはそれまでに、ちゃんと「本質」を見抜く力をつけていってほしい。この学習で何をどのように学んだらいいのだろう…と。
「自由」と「責任」の名の下に、自分の学び方を調整する力を養っていってくれ!



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