『親友』この言葉を調べてみると、「仲がいい友人。打ち解けて付き合っている友達」という意味が出てきた。
調べるととても面白い…「心から理解し合っている友」のことを『心友』、「信じ合える友」のことを『信友』、「真摯に向き合えている友」を『真友』と表現することもあるらしい。どれも、自分にとって欠けがえのない、大切な存在ということだ。今回はそれらを全てまとめて『親友』と表現して話を進めていこうと思う。
みんなには『親友』と呼べる友がどれくらいいるだろうか。
私の今までの人生を振り返った時、小学生の頃、私には親友と呼べる友はいなかった。高校生の時に3人、大学生で1人、まぁそんなものだ。私は少し恥ずかしがり屋な性格ではあるが、人と話すのが好きなのでそれなりの数の人と関わってきた。にもかかわらず、学生時代の親友は?と言うと、この4人だけだ。人によって「どこからが親友?」「どれくらいのレベルで線引きすればいい?」という疑問が生まれるが、そこはまぁ本人に任せる以外に仕方がない。
ちなみに私の線引きは、”プライベートでも継続して会う機会があるかどうか”、というところだと思っている。例えば、高校生の時の3人はみんな私と同じ野球部だった。他の野球部の友達とも今でもとても仲良くしているのだが、特にその3人とは今でも個人的に連絡を取り合い、家族ぐるみで付き合ったり、ゴルフや食事会などをしたりして自ら積極的に関わっている。大学生の友達は地元が同じ愛知県ということもあり、大学1年生の入学式から意気投合して、4年間で多くの時間を共に過ごした。お互いに県外で一人暮らしという立場だったので、時間の融通が利き、よく家を行き来し合っていた。
私の勝手な意見だが、『親友は人生を豊かにする』と考えている。
「友達付き合いをするのはめんどくさいから、一人の方がいい」と言う人もいるだろうし、それは全く否定しないが、私がなぜ親友が人生を豊かにすると考えるかというと、『私のことを知っている人から、私のためにと思って本音を言ってくれる』というのは、とてもありがたいことだと感じているからだ。SNSがいくら発達していると言っても、心と心が通い合ったやり取りをしているというよりは、情報を取り入れるためのツールであることが多く、双方向に発信できるとはいえ、基本的に自分の発信に重きを置くものであって、気持ちを通じ合わせようという使い方ではない。
“人はあくまで動物”これは私が大切にしている言葉だ。やはり五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を大切にした生き方をしていきたい。動物だもの。“時短時短”で多くのことをいかにやるかという風潮もあるが、一つ一つを心で味わいながら、深く感じる人生でもありたい。小学校低学年の担任をしていた時に、「字をキレイに書くには、正しい鉛筆の持ち方で何度も丁寧に書かないといけないから時間がかかるね」と子どもたちに言った。「でもさ、頑張ったらその分…」と私がその話を続けようとしたら、ある子が「嬉しさがたくさんある!」と、私が伝えようと思ったことをそっくりそのまま言ってくれた。
親友だってそうだ。長い時間いっしょにいたからって親友になるわけでもない。さっき書いたように、自分から進んで関わろうとしたことが、そういう人間関係につながっていく。私は、親友になる最大の条件とは、『苦楽を共にしたかどうか』だと思っている。「苦楽」とは、すべての人の心の中にあるであろう、”その人を形作っている物語”のことだ。その物語を同じ気持ちで共有し合えていれば、必然と親友、またはそれに近い存在になりえるのではないだろうか。
私は、大学を出てから17年が経ったが、親友と呼べる存在は、大学を出てからの方がとても多い。仕事は大変な部分ももちろんあるし、世代も違えば価値観も違う。ただ、同じ業界を選んだ以上、共通点が案外多かったりする。だから、仕事をする中での人間関係はとても面白いものだと思う。そして、その会社の中で同じチームになれば、学生時代とはまた違ったピンチの局面を迎えたり、何年か越しのプロジェクトを成功させたりして、苦楽を共にすることができる。
さて。みんなは新年度がスタートしたね!この1年、今まで以上に新しい出会いを大切に、全力で駆け抜けてくれ!!



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