勝者しかいない!

生き方

 以前、私が担任をしていたクラスで、『〇〇-1グランプリ』というものをやったことがあった。例えば「モノマネ-1グランプリ」や「歌-1グランプリ」など。グランプリに出場したい子たちが同じクラスの友達の前で決められたテーマ(モノマネだったり歌だったり)を披露ひろうする。クラスで投票とうひょうをして順位を決める。1位になった個人やグループ(団体できそった場合)に賞状しょうじょうやバッジを渡したこともあった。結構けっこうり上がる楽しいイベントだったことを思い出す。体育の授業では、バスケットボールやバレーボール、持久走、サッカー、リレーなどで優勝ゆうしょう目指して頑張がんばっている姿が今でも鮮明せんめいに思い出される。

 そういう勝負事しょうぶごとをすると、どうしても勝った子もいれば、負けた子もいる。自分が優勝する場合もあるが、よほどの能力がない限り、高い確率で“優勝しない”という結果になる。そのことで一喜一憂いっきいちゆう(喜んだり悲しんだり)することはいいと思う。だって勝つことを目指しているんだから。でも、負けたからといってそんなに落ちこんだり、引きずったりしないでほしい。勝った負けたという結果は、これからの人生でどうしてもつきまとう。小さな遊びから真剣勝負まで。先ほど言ったように、たいてい優勝なんてできない。では、その時にどう自分と向き合ったらいいか考えてみよう!

 私は先生をしていた時に、同じ先生の友達と一緒にハーフマラソン(20kmチョット走るやつ)に何度か参加したことがある。また、夏休み期間中に”体育実技研修会”という名前の野球の大会があり、毎年それに参加していた。そこでは優勝するわけでもないし、素晴らしい記録・結果がでるわけでもない。でもその記録・結果に関わらず、楽しかった記憶しかない。小学生や中学生の子たちから言わせたら、「そんなに気持ちを入れてやっていないからじゃないの?」「こっちは練習をめちゃめちゃ頑張ってるんだ」などと言われそうではあるが。もちろん、君たちが今やっていることは、大人の私たちのように毎年あるようなものではなく、その時しかない大切なものだったりするから、“意気込みがちがう”というのもあるかもしれない。

 勝負事には勝ち負けがあるから、もちろん結果は受け入れつつも、ぜひ、思いっきり“拍手”はくしゅをしてほしい。なぜこんなことを言うかというと、一生懸命頑張ったうえで負けてしまったとすると、おそらく相手も君たちと同じように勝つために努力をしてきた。だからこそ相手の健闘けんとうたたえて拍手をしてほしい。また、相手があるものには“自分ではどうすることもできない領域”がある。それが『結果』だ。だから、自分が一生懸命やったのであれば、胸を張ってそんな自分にも拍手をしてほしい。何もマイナスなことなんかない。誰のせいにする必要もない。1年前の自分よりもいろんな面で成長しただろう。そんな拍手をすることができる自分であってほしいと願う。

 こんな一丁前なことを言っている私だが、小学校5年生から始めた少年野球では、試合に負けるだびによくビービー泣いていた。だから、負けて泣いている時に、「一生懸命やったんだからいいんだよ」と当時の私が言われても「でも悔しいんだ!」って言うと思う。ここで勘違かんちがいをしてはいけないぞ。『くやしい』この感情はとても必要だ。それが向上心や次への活力・エネルギーに変わっていくのだから。「負けても泣いちゃいけない」と言っているわけではない。大切なのは“心の在り方”だということだ。負けたことにくさらず、”経験”を次に向けて進む“糧”にしてほしいということだ。負けたり失敗した時こそ“学び”が一番多いからね。そこに目を向けられたら、君の成長は約束されたようなものだ!

 「今やっていることに没頭しろ!」

 これは私が今までに多くの影響えいきょうを受けてきた堀江貴文ほりえたかふみさんの言葉だ。私たちにできることは、確かに“今を精一杯生きること”だけだ。逆にとてもシンプルで分かりやすい。過去の自分の経験から学ぶことは”今”のために大切だし、未来のために計画を考えるのも”今”の自分の行動の道標みちしるべになるから、それも必要なことだ。どちらも”今”を生きるために大切な要素だ。ただ、過去にあったことを後悔して自分を責めても今に生かされないし、未来を必要以上に不安がったって今に良い影響を与えるわけでもない。だから、”今を大切にする”ということ。それをくり返して丁寧に生きていく。地道なんだけど、それこそが確かな歩みだと思う。

 これからも時に自分に問いかけてほしい。「今を精一杯やれているかな」と。「うん」と答えられたら、きっといつも、いつまでも君は勝者なのではないだろうか。

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