ウォルト・ディズニー

偉人

 老若男女問わず、日本中いや世界中から愛されている「ディズニー」の世界。その世界を作った人ウォルト・ディズニー。今日はディズニーさんから何を学ぶことができるのか、一緒に考えてみよう。

 もし、あなたが一生懸命描いた絵を「つまらない」と言われたらどうする?もしやりたいことがあって、それを仕事にしてスタートしたんだけど、借金がどんどん膨れ上がったとしたら、続けることはできる?世界中の人々に夢と笑顔を与え続けたウォルト・ディズニーは、初めから成功者だったわけでも、華々しい人生の連続だったわけでもない。数えきれないほど否定され、失敗し、それでも「やめなかった」一人の青年。彼の人生は、「夢が、“才能”ではなく、“行動”から生まれること」を私たちに教えてくれている。では、どんな人生を歩んできたのだろうか。

1.幼少~青年期
 ウォルトは1901年にアメリカのイリノイ州シカゴで生まれた。小さい頃、家族が営んでいた畑を耕す手伝いをしたり、朝3時に起きて新聞配達をしたりして、子どもながらに生計を助けていた。動物や自然、絵を描くことが好きな少年であった。
 1918年第一次世界大戦が始まると、ウォルトは兵士に憧れ、救急部隊に志願しフランスに行った。軍隊にいたその頃には、一目置かれるくらい絵が上手な存在として周りから認識されるようになった。そして、自分が描いた絵をプレゼントされた人が喜ぶ姿を見て、近くの人だけでなく”世界中の人を笑顔にしよう”という夢をもつようになった。

2.アニメーションの仕事
 19歳になったウォルトは、「これからは絵を動かす(アニメーション)時代だ」と言い、仕事で頼まれているわけでもない”広告アニメ”の仕事に興味をもち、一人でそのアニメを作ろうとする。アニメを作る時に必要なカメラは当時、相当高価なものだった。働いていた会社の社長がカメラをもっており、貸してもらえるようにお願いをしたがあっさり断られてしまう。でもウォルトはそんなことでは全くあきらめない。次の日も、その次の日も、いつまでも社長にお願いをし続ける。そして「分かったよ貸すよ」と社長があきらめ、ウォルトの願い通りにカメラを借りることができたというエピソードがある。
 カメラを貸してもらえたウォルトは、自分の仕事を済ませた後、自宅にある車庫で毎晩作業を続け、オリジナルの1分程度のアニメーションを作り、映画会社に売り込み高い評価をいただくことができた。働いていた会社で「長いアニメーションを制作したい」と社長に伝えるが認めてもらえず、夢をあきらめないウォルトは、自ら会社を立ち上げることにする。

3.自分の会社でのアニメーションの仕事
 自分が立てた会社がスタートして、仕事がいくつも舞い込んできたが、“配給会社からお金が支払われない”というトラブルがあり、会社が倒産しそうになるという危機が発生した。お金がなくてもどんどん仕事を進めていくウォルトと、給料がもらえないならさすがに仕事を続けられないと言う社員との間に、徐々に埋められない溝のようなものが生まれてくる。一人また一人とウォルトの元を去っていく仲間たち。それでもウォルトは、「まだまだこれからだ。必ずうまくいく。」と言い、一人になっても自分の信じた道を進んでいった。しかし、現実は虚しく、作りたかった映画制作を続ける資金は底をつき、誰にも頼ることができずに、結果、自分の会社を倒産させてしまう。

4.ハリウッドでの再スタート
 拠点をハリウッドに移したウォルトは、新たに会社を立ち上げる。大型の契約を勝ち取れそうになり、ウォルトは不眠不休で仕事に打ち込む。それは周りが「体は大丈夫か?」と心配してくれるほどに。そして作った作品が評判になり、会社も徐々に大きくすることに成功する。しかしそんな喜びも束の間、ウォルトたちがつくった映画を安く買いたたこうとする配給会社に嫌がらせをされてしまう。それだけでなく、大きくした自分の会社の社員をその配給会社に大幅に引き抜かれてしまい(社員を奪われたということ)、結局値段の交渉をすることもできず、悪条件を全部飲むことになった。

5.カラー長編アニメーションへの挑戦
 会社は大きくなったものの、相変わらず資金繰りに困るウォルト。それでもカラー短編アニメーションの次は、カラー“長編”アニメーションへと挑戦しようとした。いつまでも安定することのないウォルトそして会社。お金もギリギリというよりむしろ足りないので、周りの人たちは、こぞってその挑戦に反対をする。それでもウォルトは笑顔で言う。「ワクワクするだろ?楽しみでいてもたってもいられないよ!」と。この挑戦は「成功」するか、「失敗」つまり会社が潰れるかの賭けのようなものだった。結果はみんながご存じの通り、大成功を収めた。「白雪姫」や「ピノキオ」、「バンビ」などを世に送り出すこととなった。

6.そして、世界中に
 アニメーションの世界で大成功を収めたウォルトの次の夢は「遊園地」だ。“映画では実現できない最高の娯楽”だと位置づけ、“夢のような遊園地”を作ることを目指した。しかし、その事業規模(かかるお金など)はあまりにも大きく、ウォルトが持っている別荘などを売っても、必要なお金は到底集まるものではなかった。そこでウォルトはあるアイデアを思い浮かぶ。当時、新しいメディアとして誕生した「テレビ」がどんどんその規模を拡大しており、テレビにディズニー社が作るアニメーション番組を提供する代わりに、ディズニーランドのスポンサーとして資金を提供してもらおうと考えたのだ。そして、ディズニーランドができていく過程やアトラクションを紹介すれば、そのテレビ番組の視聴者も増えるし、世間のディズニーランドへの認知も進むというWINWINの関係になることも提案した。テレビとの協力関係をつかみ取り、ディズニーランド建設を無事進めることができた。

 みんなは知っているだろうか?ディズニーランドは“けっして完成することのない遊園地”というコンセプトをもっていることを。でも、確かに納得かもしれない。どんどん新しいアトラクションが生まれているし、新しいサービスも更新されていく。お客さんを第一に考え、求められるものを形にすることで“生きている”遊園地になっている。世界中のディズニーファンにとって本当に夢の国であり続けている。東京ディズニーランドとシーにはそれぞれにウォルト・ディズニー像がある。彼の人生を少しでも知ることができれば、ひょっとしたら今まで見た像とは違ったように見えるかもしれないね。今度行くのが楽しみだ♪

 最後に、ウォルト・ディズニーの名言を1つ紹介しよう。
 『今、我々は夢がかなえられる世界に生きている』
 私は今回、この言葉を知ったことでブログを書こうと決意した。そうだ、今まであきらめたからできなかったんだ。夢は…かなえられるんだ!

 「僕の人生を見てよ!やりたいと思ったことをやってきたよ!」天国にいるウォルトにそう声をかけられそうだね。

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