「生きる力」とは何かを分解した時に、その要素の一つとして「コミュニケーション力」が挙げられるようになって久しく時が経つ。コミュニケーション力とは、“相手と意思疎通する力”だ。誰とでもお話をする社交的な人というのは、一般的に“コミュ力が高い人”と言われる。「ぼく・私は陰キャだし、人と話すことが苦手なんだよなぁ…」という人もいると思う。いわゆる「喋れる人」は“攻める力”があるというイメージだ。では、そもそも恥ずかしがり屋で、人の話をちゃんと聞くのはある程度いけるけど、どうしても自ら話を切り出したり、深めたりするのが苦手だという人は救いようがないのか…?結論からいうと、そんなことはない。もちろん“攻め”の要素も少しずつ磨いていく必要はある。根が陰キャでも大丈夫でしょ!というのには、理由がある。その一つは「コミュニケーション力は鍛えられるから」ということ。二つ目は、今回話したいコミュニケーション力を活用する場は「学校」や「仕事」など、ある程度「仮面」を被ることができる“社会性の強い場”であり、本来の自分とは違う自分をつくることができるから、とでも言っておこうか。
こないだ、私の元同僚だった教員仲間と4人で食事をする機会があった。私以外の3人のうち2人は、おしゃべりが好きでいわゆる“陽キャ”な人だ。しかし、あとの一人は、自分でも根が“陰キャ”だと言っていた。そもそもなぜそこでそんな線引きができたのかと言うと、『自分と同じタイミングでトイレを使う人がいた場合、その場で話をするか?』というお題が出たからだ。陽キャ側の2人はどちらも「おつかれさまーっ」というあいさつをするにとどまらず、何か別の話題も相手に振ると言う。陰キャ側の1人は、そもそも目があったら会釈程度はするかもしれないけど、声を発しないと言う。でも、だ。面白いことに、その陰キャだと自分で言う教員の人は、仕事ではバリバリコミュニケーション力を発揮し、人前でも堂々と立派なスピーチをすることができる。人材が不足していると言われる今の教育界の中でも、「○○先生は本当に素敵な先生」と誰からも評判な人だ。私も心からそう思う。
つまり、今説明したように、「三つ子の魂百まで」つまり、生まれもった性格というのはなかなか変えにくいものかもしれないけど、学校や仕事においてはそれなりに“演じる”ことができるということだ。私は教員をしていた時に、懇談会でよく保護者の方からこんなことを言われたことがある。「うちの子はそんなに学校では頑張っているんですか。家では反抗的だし、ダラダラ過ごしているんですけどね(笑)」なんていう言葉だ。これが『社会性』ってやつなのだろう。社会にどう適合しようとするのか、その力ってとても大切であり、演じる中ですごい力を発揮する場合が結構ある。
では、社会性をもつために自分をどう「設定」したらいいのだろうか。大きく分けて4つのコミュニケーションの力を意識していく必要があろう。
一つ目は、相手の意図をくみ取る力、つまり「理解力」だ。これは情報を自分の中に入れる(インプット)時に必要な力である。情報を正確な解像度でキャッチできるかどうか。これはむしろ陰キャ側の人からすると、多くの人がすでに持てている力かもしれないね。
二つ目は、自分の考えを言葉にする力、つまり「表現力」だ。これは先ほどとは逆に、インプットされた情報も含めて自分の中にある知識を基に考えを出す(アウトプット)時に必要な力である。「理解力」と「表現力」を高めようとする場合、学校生活の中に訓練することができる場が山ほどあることに気づけるといい。そして、聞くにも話すにも「語彙力」を増やしていくとが大事だ。語彙力は新聞や本などのように、知らない言葉がバンバン出てくる環境に身を投じた方が、早く得られるものだろう。分からない言葉に出合ったら調べるという力もつくし、文章の流れや漢字から言葉の意味を推理する力もつく。
三つ目は、違いを前提にやり取りする力、つまり「調整力」だ。そもそも人それぞれ考え方が違う。だから相手の考えを否定するわけではなく、「このゴールに向かうのであれば、この方法が一番いいのではないか」という提案をするイメージだ。答えはきっと相手と自分の間にある。“どちらかが完全に正解、というのはない”と心得よう。自分の立ち位置を理解できるようになると、きっと客観的に物事を捉える力が育つだろう。仮に相手に否定されたとしても、焦り取り乱すことなく課題を一歩ずつ前に進めることができる力も育つだろう。
最後の四つ目は、関係を壊さずに意見を伝える力、つまり「配慮力」だ。マウントを取ったり、相手を論破したりするなんていう行動は、すでに“時代遅れ”だ。その人が素晴らしい人であるかどうかは、勝ち負けで証明するものではない。時が経てば自然と分かることであり、人と比べたことによる“相対的な善”よりも、確かな正しさ=“絶対的な善”を求めていけばいい。敵をつくってしまう人というのは、人と争い言い負かすことで“自信”をもってきたのかもしれないが、そんな「勝者以外はみな敗者」になるようなシステムは社会全体を破綻させる考えだと思うがどうだろうか?三つ目と四つ目の力には、思いやりの心が大切だ。
以上のことから、陽キャ・陰キャ問わず、今求められているコミュニケーション力は、誰もがその気になれば身につけられるものであり、かつ身につけるべきものであると言える。
学校でそして社会で、なぜ昔以上にそんなことが強く叫ばれているのか。それは、世界中で考えの多様化が進み、答えが一つではなくなったからだ(もちろん普遍的に正しくあるべきことはあるけど)。これからの人生であなたはさらに多くの出会いを経験するだろう。出会いの数だけ新しい個性と触れ合う。ひと昔前より個性が尊重されている時代で、自分にはない感覚・価値観をもっている人に出会うのだ。考え方が違ったとしても同じ時代をともに歩む必要がある。“一人では完結しない時代”を今生きている。
さて。この話を受けて、あなたが自分の置かれている立場を理解し、今まで以上にコミュニケーション力を磨こうと思ってくれると嬉しい。技術を磨き、同時に心を磨いてコミュニケーション力を伸ばしていこう!



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