「人生の目的とは、いかにして暇を潰すかにある」
エミール・シオラン(1911~1995)という哲学者の言葉だ。最初に聞いたとき、「なんて投げやりで虚しいこと言うんだろう」と思った。でも、よく考えると案外、的を得ている気もする。
私たちは、毎日を“何かしら”で埋めている。仕事、勉強、部活、家事、スマホ、友達…。どれも「生きるための活動」に見えて、実は「暇をどう使うか」の選択でもあるのだ。
授業が終わってからの放課後、休日の午後、長期休暇。時間ができると、人は少し不安になる。何をしていいか分からなくなることもある。時間が余ると自分の「からっぽ」さが見えてしまう。だから、人は、何かに夢中になろうとする。つまり、“暇つぶし”は、人が「自分と向き合った時の不安から遠ざけるための知恵」とも言える。
ここで面白いのは、「暇を潰す」ことが、人生の“質”を左右するということ。例えば、同じ1時間でも、スマホで無意識に動画を流すのと、絵を描いたり、本を読んだりするのでは、残る感覚がまったく違う。どちらも「暇つぶし」だけれど、前者は“消費”であり、後者は“創造”。つまり、「どう暇を潰すか」は「自分の中に何を残すのかという問い」なのだろう。誰かに与えられた仕事や義務ではなく、自分で選んだ“暇の使い方”こそ、その人の“輪郭”をつくる。勉強も、趣味も、友人関係も、結局のところ「空いた時間をどう使うか」という選択の積み重ねだ。だからこそ、その時間をどう扱うかで、人の深さや豊かさが変わっていく。
シオランは、人生を少し冷たく見つめた哲学者だったらしい。彼は「人間は退屈に耐えられない生き物だ」という言葉を残している。だからこそ、私たちは“目的”や“夢”を作り出す。つまり、「人生の意味を求めること」そのものが、「最高の暇つぶし」なのかもしれない。確かに大きな夢は時間がかかる。ということは「大きな夢をもつことができれば、これからの未来で暇になることが大幅になくなることが約束される」とも言える。
シオランのように、人生のさまざまな行為を「虚しい」と片付けるのはもったいない。だって、どうせ暇を潰すなら、“心が動く方”に時間を使いたいじゃないか!例えば、「誰かに手紙を書く」、「景色をスケッチしてみる」、「討論会で、自分にはないすごい意見に出合う」。こんな時間の中にこそ「生きているな」と感じる瞬間がある。心がじわっと温かくなったり、興奮してドキドキしたり。
「人生=暇つぶし」だとしたら、あなたはどんな暇を選ぶ?
私なら、「これからの未来を担う目をキラキラさせた若者たちと語る時間」を選びたい。誰かの言葉で心が動いたり、自分の中の考えが整理されたり…。そんな時間を重ねていけば、気付けは“暇”が“生きる意味”に変わっているのかもしれないね。
シオランは皮肉を込めてこう言った「人間は退屈を避けるために、文明を発明した」と。でも、私たちはもう少し前向きに考えていいはずだ。暇をどう潰すか――――その答えを探す過程こそが、“生きる”という行為そのものなのだと思う。
ちょうど今日、大谷翔平選手がアメリカ大リーグで大活躍をした。ナショナルリーグ優勝決定戦で優勝を決める試合で、投手として7回途中まで投げ10奪三振・無失点。打っては3本のホームラン。このゲームに出場している一流選手たちが、大谷選手の活躍を「信じられない」「今までのポストシーズンで最高の活躍」「史上最高の選手」と称える。大谷選手は試合後、至って冷静かつ自然体でインタビューに答えていた。でも、私には“熱いもの”を心に宿しながらも冷静風だったように感じた。心が熱いに決まっている。球場の熱気がとんでもなかったんだから。
もし、シオランが今ドジャースタジアムで大谷選手の活躍を目の当たりにしても、人生の虚しさを語るのかな。みんなはどう思う?
「暇つぶし」ってことは、もともと「ゼロ」。足していくしかないんだから、ポジティブに、自分らしく、これから最高の暇つぶしをしていこうじゃないかっ!!



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