みんなは「松下村塾」という名前を聞いたことがあるだろうか。これは、幕末の長州藩(山口県萩市)にあった小さな私塾である。松下村塾には、のちに明治時代の日本をつくっていくことになる多くの若者が集まっていた。例えば、私が大好きな「おもしろきこともなき世をおもしろく」の高杉晋作や高杉とともに塾の双璧と言われていた久坂玄瑞、初代内閣総理大臣の伊藤博文、明治時代の政治で活躍した山県有朋などがそうである。まさにものすごい顔ぶれである。では、どうしてこんな片田舎の小さな塾から、これほど多くの歴史に名を残す人物が生まれたのだろう。それにはいくつもの理由がある。
1.特別な先生「吉田松陰」がいたから
松下村塾で教えていたのは、吉田松陰という人物だ。彼はとても熱い思いをもった先生だった。自分の命をかけてでも日本を良くしようと考え、行動していた人だった。アメリカ船に乗り、そのままアメリカへ密航しようとして捕らえられたのは有名な話である。
松陰のすごいところは、ただ知っていることを教えるだけでなく、一人一人の心に火をつけるような教え方をしたことだ。教え子たちに「自分の使命は何か」「どうやって世の中をよくするか」を考えさせ、勇気をもって行動するように励ました。今のテストの点数を上げることに注力する教育とは全くちがう。
2.自由な雰囲気で身分にこだわらない塾だった
当時の日本は江戸時代で、武士・農民・町人など、身分がしっかり決められていて、自由に学んだり、出世したりするのはとても難しい時代だった。でも、松下村塾では、身分に関係なく同じように学ぶことができた。武士だけでなく、商人や農民の子どもも入っていた。また、「先生が一方的に教える」というスタイルではなく、松陰が教え子たちと一緒に考え、議論しながら学びを深めた。いろんな考えをもつ仲間たちと、自由に意見を交わすことができたので、学びがとても深くなり、自分の考えをしっかりもつ力が身についた。
3.志を大切にした教育
松陰はいつも教え子たちに「志をもて」と言っていた。この「志」とは、「自分は何のために生きるのか」「世の中をどう変えたいのか」という思いのことである。松陰自身も「日本の未来のために何ができるか」をずっと考え、命をかけて行動をしていた。そんな松陰の姿を見た教え子たちは、心を動かされ「自分もこのような人になりたい」と思った。そして、みんなが自分の志を語り合い、高め合っていった。こうしてただの勉強仲間ではなく、日本の未来を変えるための仲間・同志になっていったのである。
4.時代が変わろうとしていたタイミング
幕末の日本は、外国からの圧力が強まり、これまでの江戸幕府のやり方ではうまくいかなくなっていた。「このままでは日本がダメになる…」と、多くの人が感じていた。そんな中、「新しい日本をつくらねば!」と立ち上がったのが松下村塾の若者たちだった。時代の変わり目の特別な時期だったからこそ、『学びを行動にかえる勇気』が必要で、松下村塾の教えは、その勇気を教え子たちに与えていったのである。
5.卒業後も支え合う“つながり”
松陰は30歳という若さで処刑され、その短い生涯を閉じることになったが、松陰の教えは教え子たちの心にずっとのこることになる。そして、塾を卒業した後も、教え子たちは仲間としてつながり、共に行動していた。つまり、松下村塾はただの「学校」ではなく、『一生続く“志の仲間”をつくる場所』であったと言える。
私も過去に、山口県萩市にある松下村塾を訪れたことがある。非常に小さな建物と敷地だ。そこで幕末の志士たちが切磋琢磨していたと思うととても感慨深かった。「あなたの使命は何だい?」と天から松陰先生に尋ねられたら、君はどう答えるだろう。私も教育者という立場として、みんなに自分の生きる意味を問いていきたいなと思う。自分の生きる意味をもち、そこに向かおうとすれば、“自分がやるべきこと”そして“自分がやらないでいいこと”が自ずと分かってくるのかもしれない。
あなたの人生はあなたの心の在り方ひとつで、如何様にも面白くできるような気がする。松下村塾生の高杉晋作のようにね♪



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Bravo!!