メリハリの語源って何だろう?ふとそう思って調べてみた。すると、日本の伝統芸能や音楽に由来しているようだ。「メリ」と「ハリ」は、三味線や浄瑠璃などの演奏における音の強弱やリズムの変化を表す言葉らしい。そこから転じて、「やる時とやらない時」や「対比」など“単調さを避けてリズムや区切りを意識する”という意味で使われることが現代では一般的となった。
私の大好きな実業家のホリエモン(堀江貴文さん)は、「勉強が自分でできる子は、学校なんて行かなくてもいい」や「目標なんてなくていい」と言う。これらの言葉は前後の文脈を切り抜いているから、誤解を生んでしまうといけないのでちゃんと説明すると、「学校の勉強は低位の子のペースに合わせているから、上位の子はそれに合わせている分損をするので、学校に行かずに自分のペースでどんどん学んでいけばいいし、教科書や副教材だけでなく、ネットから調べられる情報、現実社会とつながって直に学んでいけばいい」そして「目標に合わせると、それ以上にできている時に手を抜いてしまうことがあるだろうし、目標が自分の可能性の限界を決めてしまう場合も出てくる」そんな“目標をもつこと”のデメリットを指摘しているのだ。
私はこのホリエモンの考えに対して、「ケースバイケースだ」という立場をとる。というのも、ホリエモンのように、好奇心と向上心の塊であり、かつめちゃめちゃ知能が高いというのは非常に“レアケース”だからだ。東大を現役(浪人をせずに高校からそのまま大学に入ること)で合格して、大学中に起業して中退。今でこそ学生起業は普通のことだけど、30年前はとても珍しいことでそんな最先端な人間が言っていることだということを前提としなければいけない。だから、あなたが誰から何を言われなくても、自分で短・中・長期的な見通しをもてたり、研究者のように目の前の何かに没頭することができたり、強い信念を持てたり、世の中とも積極的につながっていけたりするのであれば、たぶんホリエモンの言う通り学校に行かなくてもいいと思う。でも、ほとんどの人は、自分だけでメリハリのある生活を送ることなんてできない。だって、「こうなるんだっ!!」っていう“確固たる信念”なんてみんな持ち合わせていないんだから。
私が学校の先生をしていた頃のこと。漢字ノートの宿題って結構毎日っていうくらいに出る学校多いよね(暗記なんてさせるな!意味ないんだから。とホリエモンに怒られそうだ…)。漢字のノートをあなたは一生懸命「覚えるぞ~!!」ってやっているorやっていた?普段の宿題なんて“終わらせるため”だけにやっている人がほとんどだよね。メリハリなんてあったもんじゃない。でも、漢字テストで目標点を決めたとしたら、その途端そこを目指してヤル気スイッチが入り、それまで“終わらせるため”にやっていた宿題が“目標点をクリアするため”に変化する。人によって「目標をもつ」という行為が自分の意識をググっと上げるという良い例だろう。
小学生のうちは、多くの子が地元の中学校に進学することが多い。だから“目的”“目標”を見出しにくく、生活にメリハリを生み出せないという日々の生活につながっていく。だから、まずは自己分析だ。自分という人間を知ることからスタートだ。サボり癖があるし、親から言われないと行動に移せないことが多い、そんなあなたは無理やりでも“目標”をぶち上げた方がいいのかもしれない。がんばりゃ達成できそうな目標をね。友達にでもいいから後戻りできないような“宣言”をしたらいい。「オレ、今日1~6時間目全部手を挙げる」でも、「次の算数のテスト100点取る」でも「今週本1冊読んで、あなたに3分以内でその本の内容話す」でも何でもいい。「できなかったら…」という罰は用意する必要はない。“約束を破るカッコ悪い奴”っていうレッテルを貼られ信用度が下がるだけで、十分罰になっているから。
勉強なら、前にブログで言った「けテぶれ」がやっぱりいい。特に漢字や算数の勉強とは相性がいいから、宿題のやり方としてぜひ取り入れるべきだ。知らなかったらネットで調べてくれ。簡単には過去のブログでも説明した。漢字でいうと、テストをするから「書ける漢字」と「書けない漢字」の仕分けがすぐでき、「書けない漢字」にだけ焦点を当てて練習を徹底的にできる。
当時子どもたちに偉そうに言ってたなぁ…「書ける漢字をくり返し書いて、勉強やっているフリをするな!」ってね。とにかく時間は有限。目指すところをもって、メリハリのある生活をしようぜ!



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