「学校には期待していない。」
以前、同僚だった先生からこの言葉を聞き、私はハッとさせられた。その先生と“我が子への教育観”について話していた時のことだ。
私は「学校の勉強もしっかりやってほしいけど、学校や家で本をたくさん読んで世界を広げてほしい。あと、家族でキャンプに行って“苦労”をさせたい。」と、当時思っていたことをその先生に話した。そして、その先生の意見を聞いてみた。すると、「学校で学ぶことをしっかりやるのは当たり前。だって、学校で学ぶことって生きる上で必要だと思うから。でも、学校だけじゃ足らない。もっといろいろ体験させたい。お笑いの大会に出たり、地域であるイベントに参加させたりしたい。」と言っていた。学校には期待していないという言葉の裏には、「学校は必要だけど、それだけでは十分ではない。」「学校だけでは子どもの未来はまったく保障できない。」という意味であったことが分かる。
以前から、自由主義的な発想で“個性”という言葉を盾に、学校教育を疎かにする雰囲気が感じられる世の中になったなぁと憂慮しているが、その同僚の先生(私もだが)の見ている“我が子の未来”は、そんな低次元な話ではない。小中学校で学ぶことは本当に生きる上で基本中の基本だろう。学校で学ぶさまざまなことが人生を豊かにする。一方、「学校でやっている○○は必要ないだろう」という意見もある。もちろん、必要なければいずれ淘汰されていくだろうし、そうなるべきなのは同意だ。変化がないのは退化と同じだから。しかし、多くのものが大切な学びとして、今に受け継がれてきたことも理解する必要があろう。学校で学ぶ知識や技能、考え方などは9年かけて自分の身体に染み込ませていくべきものだと考える。しかも、ほとんどのことを”しっかりと習得”するんだ。でなければ中学校最後にもらう卒業証書など、ただの“紙切れ”にしかならない。
世の中にはセーフティーネットと言って、困難な状況に陥った人々を支えるための社会的な仕組み・制度が存在する。例えば、職を失った人に対して「失業保険」があり、一定期間生活費を補助している。また、経済的に困っている人に対して「生活保護」があり、最低限の生活費がその家庭に支給される、など。とはいえ、誰もそんな状況に自分がなりたいわけではない。セーフティーネットがあるが、あくまでも世の中は弱肉強食の世界。無駄な時間を多く費やしていると、本当にあとあと後悔しても時すでに遅し!になる。
みんなは「投資」という言葉を知っているだろうか。「将来的のために、お金や時間などを使って、それが後でより良いものとして返ってくることを期待する活動」をいう。今あなたは何かの習い事をしているかもしれない。それは“投資の活動”と言える。「お金」を払って「時間」も費やしているのだから。では、あなたは今習い事から何を得ているだろう?何が自分に備わっているだろう?長く習っていることであるならマンネリ化(慣れて飽きる)もするし、好んでいない習い事に対して「めんどくさい」「やりたくない」と後ろ向きに思う気持ちも分からなくはない。だが、あなたが思っている以上に世の中には「めんどくさいけどやらなければならないこと」が多くあるものだ。せっかく同じ時間を使うなら、あなたがやっている活動からそれなりの成果を得ようではないか。
とにかく学校でやっていることを疎かにしないことだ。学校での「学習」や「人間関係」などを1つ1つ丁寧に自分のものにしていこう。友達とケンカしたから自分はダメだと思う必要はなくて、”今の自分は解決策も見つけられず怒ってケンカをしてしまうレベルだ”ということをまず受け入れ、そのレベルから一つずつステップアップしていけばいいのだ。学校でももちろん個性を育むことはできるが、まんべんなく世の中のことを学ぶ場所だという要素の方が大きい。つまり、与えられたタスク(仕事)に取り組むという要素が大きいことをまず理解しよう。
そして「家での時間」だ。学校から帰ってからが本当の勝負だ。どうやって使うかは自分そして家族の方としっかり考えて。あなたの知らない間に、弱肉強食の世界へのタイマーはとっくにスタートしているのだから。ゆっくりした時間にしてもいい。休憩や趣味も大切だし。ただ、お家の方が勧めたことではなく自分で決めたことする場合、自分で責任をとるという認識を忘れずに。
自分の未来に期待したけりゃ、期待できるだけのことをしよう。自分に投資をしよう。もちろん努力しても自分の未来が明るいだなんて保証はないけど、何もしないよりは絶対にいい。土日や大型連休が待ち遠しいっていう理由が「自分のやりたいことがありすぎて、それができるから」って言っちゃうやついたら、そいつは絶対カッコイイよね☆



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