憧れの存在“ヒーロー”

生き方

 「パパはヒーローだよ!」2歳の次女がそう言ってくれる。夏休みの時期は1年の中でもわが子たちと関わる時間が多いので、そんなことを言ってもらえる。ただ、なぜかは言ってくれないので、何となくなのだろう(笑)。

 自分にとってのヒーロー憧れの存在。親に対して思う人もいるかもしれないし、小学生ならペアのお兄さんやお姉さん、同じ学校のスター的存在、スポーツ選手、アイドル、歴史上の人物。実際に会ったり声をかけてもらったりしたことがあれば、「あんな風になりたい」と強く願うようになるだろう。“自分にないものをもっている”というのもその存在をヒーローと認識する理由かもしれない。自分にとってヒーローがいるというのは、「あのようになりたい」と自分を高めてくれるので、人生にとってとても必要なことだと思う。

 私にとって初めてのヒーローと言える存在は元プロ野球選手の清原和博選手だ。私が小学校低学年の頃、西武ライオンズが全盛期を迎えており、クリーンナップの秋山・清原・デストラーデは、全員ホームランを打ちまくっていた。その中でも一番清原選手が好きで、毎朝新聞を開いては、スポーツ欄で“昨日清原がホームランを打ったのではないか”と見ていた。結局“無冠の帝王”と呼ばれ、タイトルを手に入れることのなかった清原選手だが、当時の多くの野球ファンにとってのヒーローだったことだろう。
 私には清原選手を好きになる明確な理由があった。それは「大舞台に強いこと」だ。もともと甲子園で大活躍した清原選手だが(春夏5回出場で優勝2回、準優勝2回…ありえない!)、プロ野球選手がファン投票で選ばれるオールスターでも打ちまくっていた。その“華やかな感じ”は、鬼気迫るものではなく、”楽しんでいるから”に他ならない。まぶしくて、まさに“スター”であった。

 時は変わって。私には教員をしていた頃に何人もの先生方にお世話になった。常にいいところを学ぼうと思って接していたので、合わない人であっても「こうなっちゃいかんな」と反面教師として見ていた。だからそんな人ですら自分の成長の邪魔になることはなかった。どの世界でも似たもの同士が集まるのは常である。志が高い人には似たような人が集まる。ゲーム好きにはゲーム好きが、悪さばかりする人には同じような人が。人との出会いは正直“運”が大きい。そう思うと、私は運がいい。本当に数々の素敵な出会いがあり、今後もいっぱいあることだろう。

 教員をしていた頃の初任校(最初に赴任した学校)で二人のヒーローに出会った。一人は6つ年上の先輩(A先生)で、もう一人は5つ年上の先輩(B先生)。どちらも男性だ。A先生は身を粉にして、子どもたちのため、同僚の先生のため、学校のため、世の中のために働く。まさに正統派。私も一度同じ学年で働く機会があり、「学年を経営するということ」について学ばせてもらった。その後10年ほど続いた私の教員人生に、A先生から学んだ哲学を活かすことができた。B先生は一見変わった感じの人だ。誰もが思いつかないようなことを学校生活に取り入れていた。そのせいもあって、保守的な先生(特に年配の)からは「勝手なことをしてる…」と批判を浴びてしまうこともあった。それでもB先生は子どもたちから圧倒的な支持を得ていた。私はB先生とも同じ学年で働いたが、B先生との過ごした1年は本当にあっという間で、“楽しすぎ”た。

 そんなまったくタイプの違う二人のヒーロー。先日3人で食事をする機会があった。私が改めて素敵だなと思うのは、二人とも目がキラキラしているところだ。仕事である以上正直嫌なこともある。それでも自分がやるべきと思うことに“枯渇することのないエネルギー”をぶち込んでいる感じがたまらなく素敵だ。二人のヒーローの”お互いにリスペクトし合っている”ことが私にも伝わってくる。お互いに”自分にないものを相手がもっていること”を認め合っている。A先生の教育界ために人望を得てどんどん出世をしている姿、そして、B先生の担任の先生として子どもたちとキラキラした毎日を過ごしている姿が、少し例えは古いが「踊る大捜査線」の室井(柳葉敏郎)と青島(織田裕二)と重なる。(いいドラマ、映画なので是非!)

 憧れの存在“ヒーロー”。時代の先を進む姿。こうなったらいいなと思える理想像――。”人”があなたにもたらす影響は多大だ。あなたがどんな人を“ヒーロー”に置くか。ぜひ生の声を聞いてみたいものだ♪

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