もうすぐ8月15日、終戦記念日だ。1945年の8月6日に広島、そして8月9日に長崎に原爆が投下され、太平洋戦争が終わった。
2か月ほど前、小学2年生になる娘に「アンネの日記」の小学生用に読みやすくなっている本を市の図書館で借りて読み聞かせたら、とても興味をもったようだった。オランダ人であり、ユダヤ人のアンネ・フランクは、ナチスドイツ占領下のオランダで隠れ家に住んで過ごしていた。「ユダヤ人って何?」「何でユダヤ人は殺されなければいけないの?」たくさんの質問が娘から飛んで来た。どれだけ正確に理解できたかは分からないが、私がもっている知識をできるだけ嚙み砕いて伝えた。悲惨な戦禍をもたらした第二次世界大戦から、人類は何を学んだのだろうか?
そもそも、「平和」とは何だろう。どんな状態だと平和と言えるのだろう。平和が争い合わないことだとすれば、経済的な競争を強いる資本主義の下では、本当の平和は訪れないのだろうか?私にとって平和の定義は、「お互いが干渉せず、自由な意志で生きることができる状況」といったところだ。お互いが自分の意志だけを貫こうとすれば、必ず衝突が生まれるから、そこは話し合って決めるしかない。自分の主張ばかりせず、相手を抑圧することなく、“できるかぎりの公平感”があるとよい。その交通整理をするためには、憲法や法律が必要であるだろうし、公平を守る法の番人の裁判所が必要だ。小学6年生や中学3年生で習う「立法」「行政」「司法」とは、平和のための基礎的な部分としてとても大切なのだろうなと思うし、この社会を生きる一人として知らなくてよい話ではない。
自分の国をひいき目に見るつもりはない。日本には課題が山積みだからだ。でも、私が定義する「平和」という観点では、日本は「世界でも有数の平和な国」であると思う。戦前の日本は、他国を干渉し、領土を奪い、人権を奪い、そして自国民にも“国のため”というまやかしで自由を奪ってきた。そして、“戦争がいかに意味のないことである”ということを知るために、過去に多大な犠牲をはらってきた。最近、映画「あの百合の咲く丘で、君とまた出会えたら」を見たが、そこでは当時の若者と現代人(女子高生)の “価値観の違い”が明確に表現されていた。映画に出てくる特攻隊員の「負けたら敵国の奴隷になる」といった間違った洗脳も印象的であった。そして、この“価値観の違い”こそが、日本が先の大戦から学んだ”成長”の部分なのだろうと思う。この意見には賛否両論あると思う。自分の国のことは自分で守らなければいけないのは当然だし、現実世界を見ていたら武力を完全に手放すのはできなさそうだ。でも、やはりまず”人類として”、「平和とは何か」「どこに向かっていったらいいのか」その合意を図ることは大切なのだと思う。
先日、長崎を訪れた。家族旅行だったし、スケジュールに余裕がない中ではあったが、どうしても長崎の平和公園にある平和祈念像を生で見たかったので行ってみた。みんなも教科書や資料集、ネットやテレビなどで見たことがあると思う。直接見たことがある人はいるかな?右手で天を指し、左手を水平に保っている。右手は「上空で爆発した原爆」を、左手は「平和」を、そしてつぶっている目は「戦争犠牲者の冥福を祈る」という意味があるようだ。一人の日本人として、どうしても行きたかった地に行けた(広島には過去2回行っている)。
その後行った近くの原爆資料館では、原爆の恐ろしさを改めて知ることになった。何の罪もないキラキラした笑顔の子どもたち、国の方針に従って命の奪い合いをさせられた人たち。生きたかっただろう。やりたいことがたくさんあっただろう。自分の命を自分の力で使い尽くしたかっただろう。それが叶わなかった人たちがたくさんいて、そんな過去があって今の世の中が存在している。私たちはただただ生まれてくる時代がよかっただけだ。私もあなたも、“精一杯生きること”を選ぶことが(過去より)できる世界にいる。
あなたはこれからどのように「平和」を深めていく?いつもより少しゆとりがある夏休みの時に、原爆投下の日、そして終戦記念日があるということを生かしたいものだ。少しでも広い範囲/規模で平和について考えてみるのもいいよね。自分の幸せから家族や周りの人、日本、そして世界、未来。”思い”がなければ行動にはならない。友達と平和について学校で話し合う機会があってもいいよね。夏休みも後半戦。宿題はほとんど終わっているかな。このタイミングだからこその「平和」。アップデートしてみるのもいいっ!



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