日々、あなたが多くの時間を費やしているであろう『学校』。あなたにとって学校は魅力的な場所であろうか。それとも、あまり楽しくもない場所であろうか。
私がこんなことを思ったのにはきっかけがある。今朝、車を運転していた時にNHKの番組「新プロジェクトX」が映ったので、運転が終わるまでの10分程度、それを見ていた。黒柳徹子さんがゲストに招かれており、黒柳徹子さんが実際に通っていた戦前の小学校について取り上げていた。つまり、日本で一番売れた本「窓ぎわのトットちゃん」の舞台になった場所についての話だ。(まだ読んでいないのでこの夏読まなくては!)
私はこのような昔の日本の学校や、世界の途上国の学校の現状を映したものを見た時によく思うことがある。「子どもたちは何でこんなに楽しそうにしているんだろう」と。そして、同時に「どうして今の子は楽しくなさそうに学校に行っている子が多いんだろう」と。
私は「人生はゲーム」だと認識している。だから「学校もゲーム」なのだ。学校が楽しいところであるかどうかは、ゲームとして捉えて、自分の成長を楽しんでいるかどうかだと思う。
<前提>
子どもたち、そして保護者の方で勘違いをしている人がある程度の割合で存在している。“学校がサービス機関”であるという認識だ。「先生は自分を助けてくれる存在で、友達は自分に協力してくれる存在」まるでレストランにでも行っている気分だ。ゲームなんだから「主人公」はあなただし、学校は“困ることが多い場所”であり、あなたの働きかけで“困ることを1つでも多く解決する場所”なのだ。何かをやってもらうところではない。そもそもこれらの前提を勘違いしてはいけない。
<自由度>
自由さ。別の言い方をすれば、選択肢の多さ。これがとても大切なことであることはこのブログでも過去に言っている。しかし、選択肢が多すぎるのは、かえって時間がかかりすぎたり、迷いが生じて立ち止まってしまったりすることにつながるのも事実。時間が限られていることを考えると、自由すぎて迷子になるほどの時間はなさそうだ。ある程度決められていることは逆に“ありがたいこと”なのかもしれない。
そして、自由や選択肢の多さが楽しさとイコール「=」で結ばれて訳ではない。上にも述べたが、昔の日本や途上国の子たちは今よりも自由があったわけではない。にもかかわらず、学校生活を送ること自体に幸せを感じていた事実がある。
<信じるもの>
今の日本の教育現場には、“信じるもの”があまりないような気がする。「個人主義」や「自由主義」が強烈な『自分勝手』を生み出してしまったのではないか?とさえ感じてしまう。“宗教的な”と言ったら構えてしまうかもしれないが、今の日本の教育で行っている「道徳」がもっと達成されるべきものになるとよいのだろうと思う。単純な表現ではあるが、「良いことをしたら、良いことが返ってくる」。これはまぎれもない事実である。子どもたちが受け身ではなく、自分の人生に“目指すもの”をもち、目の光を輝かせてほしいものである。
“信じるもの”でいうと“自分の成長を実感できる”ことも大切だ。人生はゲームであり、学校生活もゲームなのだ。今の時代1人1台のタブレットがあるのだから、自分の成長を実感できるように、自分を要素別に分けて分析するアプリなどを利用しても面白いような気がするがどうだろう?「自分」という人間を分解して、得意不得意を知るのだ。不得意をより良くするということや、得意をもっと成長させるというアプローチは自分で考えるとして、何か目指すものがあると人は目の色が変わるものだ。簡単な内容でいい。例えば「あいさつを誰にでもする」「思いやりをもった行動をする」「ふわふわ言葉を使う」など、小学生や中学生のうちから良い行いを習慣化すれば、人として生きる上で大切なことを自然と身につけていけると思う。
なんか学校が楽しくなってきた気がするのは私だけだろうか。正直、今言ったアプリなんてまだまだ導入されるにしても何年も先の話だ。待つよりも、今自分で考えられることをやってみて。人生は楽しいゲームなんだから♪



コメント