先送りにしない ~社会性とは?~

生き方

 日々、当たり前のくり返しである。小・中学生なら学校や習い事などのルーティンがあり、大人でも多くの人が同じような毎日を過ごしている。細かく自分の日々の生活を見ていくと、私たちは小さな活動の繰り返しをしていることが分かる。

 少し話が変わるが、あなたはSNSを利用しているだろうか。つながりのある人・興味関心のある人との情報のやりとりができるXやインスタ、Facebookなどだ。私はどれも登録をしているが、使っているのは主にXだ。そのXでの話をしようと思う。

 Xは旧ツイッターで、自分の興味のある有名人のつぶやきを見たり、それに返信したり、自分の意見を世の中に向けて発信できるのが特徴だ。文字数が限られているが、“つぶやく”ということでいうと十分な字数だ。私は元々学校現場にいたというとこで、教育関係の人もフォローしている。また、私自身が今までに教育関係の意見に対して返信をして自分の考えを出していることもあり、フォローしていない人の教育関係の意見もよく私のところに流れてくる。そこでの意見には「あぁ、やはりSNSは闇が深いなぁ」といった感想をもってしまう。さまざまなマイナス言葉ネガティブな発言が渦巻いているからだ。別にここでつぶやかずに、直接言えばいいのにとも思うのだが…。そんな中私は「どうしたらいいの?」と困っている状態の人に対しては、自分なりの意見(できるだけポジティブに)を伝えるようにしている。

 4月から今までにとても多く目にした“つぶやき”があるので紹介しよう。それは「新任の先生の出来ない様子」についてだ。これは教育現場だけではなく様々な会社で共通して言えることなのだろうが、そもそも大学を出たばかりの新卒の多くの人は“働く”ということへの”覚悟”が足らないことが多い。それまでの生活・ルーティンが一変するのだから当然と言えば当然だ。その変化によって大きな”ストレス”を感じてしまう。1年目の始めからストレスなくやっていくなんてことはほぼあり得ないだろう。

 学校の先生をしたり子育てをしたりすると、自分の人生を振り返ることができる(と私は思っている)。だから、「自分が過去に失敗して印象に残っていること」「子どもの頃に知っておいた方が得だと思うこと」「子どもの頃には気づかなかったその活動の意味」などを子どもたちに伝えようとする。私は教員をしていた頃、そんなことを子どもたちに伝えたいと思いながら接していた。

 論語(孔子と弟子たちとの問答を収録したもの)にこんな節がある。『…七十にして心の欲する所に従えども、矩をこえず』意味は「七十を過ぎる頃から、自分の思いのままに行動しても、決して道理を踏み外すことがなくなった」である。70歳と言えば、当時では人生の終わりの時期だ。孔子であっても、「死を迎えるギリギリくらいで、無意識に過ごしていても悪いと言われるようなことはしなくなった」というのだ。逆に「70歳まで自分には直さなければならないことがあった」と言うことができるだろう。飽くなき成長への意欲謙虚な人生観が伝わってくる言葉だと感じる。

 社会人に限らずだ。中学校でも高校でも、「〇〇1年目」からストレスを感じずに過ごすことはほぼ不可能だと思っておく必要がある。それとともに、ストレスを減らすためには、とにかく目の前のことを一生懸命取り組み、“無意識でもできる状態”にもっていくこと、これが大事なんじゃないかなと思う。人から受ける注意は決して嬉しいことではないのだが、たいていの場合それは“自分が至らない部分”を教えてくれている。「あいさつをしっかりしよう」「身の回りの整理整頓をしよう」「自分が悪かった時は謝ろう」「時間や提出期限を守ろう」先生や親から言われることはたくさんある。それを聞き流してはいけない。なぜならそれは、自分の課題を先送りにしていることになるからである。スルーして向き合わないことで、その場はストレスフリー(ストレスがない)かもしれないが、未来にストレスを送っているだけに過ぎない。自分を成長させるのは自分しかいない。仕事や勉強ができるかどうかも大切なことだが、社会性(社会の一員として生きるうえで求められる力)を磨くことは“生きる”上でもっとも大切なことだと心得てほしい。何を始めるにも困るものだ。不安にもなるものだ。その不安を少しでも和らげるのは、自分にできることを増やしていく日々の過ごし方だと思う。今一度自分のルーティンを見直してみてはどうだろうか。一つ一つ大切にすると、案外退屈でもないんじゃないかな。

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