ちょうどこの時期になると、卒業式やクラスのお別れの記憶が蘇る。どんな立場であっても、この時期には別れがあるものだろう。小学生や中学生は進級する(学年が一つ上がる)だけなら、特に大きな変化ではないかもしれない。でも、進学する(小学校から中学校、中学校から高校へ進む)となると、それは人生の中でも大きな別れの時だ。みんなは、今までお世話になった先生(恩師と呼べるような人)にお別れの挨拶や卒業したことの報告など、わざわざ足を運んで会いに行ったことがあるだろうか。
私は中学生の頃にお世話になった先生に、同じ高校に進学した友達と一緒に会いに行ったことが一度だけある。高校生活も、部活や勉強などいろいろ忙しいものだが、ふと「〇〇先生に会いに行こうか」ということになって、部活動が無かった日、学校帰りに駅から自転車で中学校に向かった。もうかれこれ25年ほど前の話だから、あまり詳しいことは覚えていないが、会いに行った先生が再会を嬉しそうにしてくれていたその”表情”だけは覚えている。中学校の頃には授業でも、クラス担任としても大変お世話になった。今思うと、受けた恩の割には“恩返し”ができていなかったように感じる。今度、会いに行こうかな。このブログでも報告できるようにしよう。
わざわざ忙しい日々の合間を縫って会いに行くということは、その出会いが特別なものだったからだ。正直、関わった先生すべてに会いに行くわけではない。その先生が自分にとって“恩師”になるということは、“恩”と言えるだけのつながりがあったということだ。その先生から愛情を注いでもらったことを実感し、その先生から“確かな学び”があった時、その先生のことを“恩師”と言えるのではないだろうか。そのためには、子どもである自分自身の“人間性”も問われることになるだろう。大人(親や先生など)が子を思う気持ちをその通りに受け止められる器量があなたにはあるだろうか。仮に自分がいけないことをしてしまった時に、注意を受けた場合、反省をしたり声をかけてもらったことに対して感謝したりする心をもっているだろうか。本気の恩に、本気で向かい合っているだろうか。そんな1年を振り返る時期として、この3月はとても大切な時期なんだろうね。
私は、ありがたいことに教え子だった子が、高校3年生の卒業後に何人も挨拶に来てくれたことがある。私は小学校の教師だったので、よほどその子たちの心が成熟していたのだろう。私は小学校の頃お世話になった先生方に会いに行ったことはないし、行こうと思ったことすらない。だから、私なんかと比べて、本当に感謝の気持ちを行動に表すことができるその人間性に対して『あっぱれ』だ。そんな来てくれた子らと話しながら、当時のことを思い出し、「こんなことあったよなぁ~」なんて言う。それに対してその子たちは決まって「先生よく覚えてますね、そこまで細かくなんて覚えていないですよ」と言う。無機質な言葉を覚えているほど記憶力が良いわけではない(というよりむしろ記憶は苦手だ)。でも、そこに感情が入っているとエピソード記憶として当時のことがとても鮮明に思い出される。会いに来てくれた子の顔を見るだけで、次から次に思い出が蘇る。きっとそれくらいに”強い思い”があったんだろうなぁ。
みんなは今、人とどのようにつながっているだろう。別れが惜しいと思えるようなつながりがあるだろうか。それくらいに相手に対して“思い”をもっているだろうか。無理な押し付けをするつもりもない。今は何かと「ハラスメント!」と言われる時代だ(笑)でも、“愛”や“つながり”が幸せと関係していると考える私としては、自分の感情を大切にし、目の前の人と真剣に向き合い、同じ時を大切に過ごしたいと願う。
ちなみに、別れは悲しくも惜しくもあるが、決してネガティブなものではない。本当のつながりというのは、切っても切れないものだ。『絆』ってやつだ。いつまでも心の中にいる。だから、新しい世界へ旅立つ大切なその人を笑顔で送ろう。そして、あなた自身も新しい世界へ旅立とう。次また会う日に、一回りも二回りも成長して再会できたら最高だ。
私は会いに来てくれた教え子たちと握手をするようにしている。来てくれたことに感謝。大切に思ってくれたことに感謝。そして、新しい門出にエールを込めて。ちょっと強めの握手。気持ちがこもると力もこもる。相手が不快に思わない程度に“ギュッ”とね♡



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