命の尊さ(大切さ)を学ぶ冒険

学校

 学校に何を学びに行っているんだろう?その答えの中の一つ、それは、『命の尊さを学ぶ冒険』をしに行っているということだ。さて、学校にある「命の尊さ」を学ぶ場面を探してみよう!

 まず、自分自身の命がどれだけ尊いのかを考えてみよう。私たちは学校生活の中には、自分の身体がどのように機能し、健康であることの大切さを感じる機会があるよね。例えば、体育の時間。自分の好きな単元/嫌いな単元があるだろうけど、大前提として、健康な体でなければ参加することすらできない。だから、「自分の身体が健康であるから体育の授業に参加することができるのだ」ということを頭に入れながら、感謝の気持ちをもって参加できると、今まで以上に楽しくなるかもしれない。また、一緒に活動する友達もそうだ。学校生活において、友達とのつながりは切っても切れない。「ぼくは人と話さないから…」と思う人もいるかもしれないけど、つながりが全くないわけでもない。クラスの友達が健康でいることは、自分の学校生活が豊かであるかどうかの大切な要素である(豊か=多様性という観点から)。だから、友達の命の尊さも同時に感じられるといい。朝の健康観察の時間に、「○○さんが休みなんだ」ということは気づくかもしれないけれど、「今日もほとんどの人が元気なんだなぁ」とは普段思っていないだろう。これからは、そんなことにも目を向けられるといいね♪

 次に、自然とのつながりについてだ。私たちの生活をとりまく自然や動物たちは、同じ一つの世界で共存している。この“生態系”は命の連鎖であり、動物や植物は私たちの生活にとって欠かせない存在なのだ。理科や社会科の学習では、知識を学ぶことが多いかもしれないが、たまに訪れる“生命”に関連する学習単元では、生命のありがたみを感じ、さまざまな知識を知る事で感謝する心がより芽生えるといいなと思う。

 命の尊さを理解するためには、他の人たちに“奉仕”する活動も取り入れるといい。先の理科や社会科で学んだ知識の実践の場だ。奉仕とは“ボランティア活動”だ。学校の外でボランティア活動をする取り組みを探せはたくさん出てくるが、自分の学校でできることからでいい。少し余談になるが…私は、以前勤めていた学校で生徒指導の仕事をしていたので、毎週月曜日の朝に学校の中をぐるっと一周、ごみ拾いをしていた。学校の中にはごみがけっこう落ちている。特に買い物袋の有料化になってから、買ったものを袋に入れずにそのまま持つ習慣が生まれ、食べたらその場所に捨てるという流れになっているのだろう。小学校の子どもたちは大放課や昼放課に外で遊ぶ。遊具や鬼ごっこをしながら。遊んでいる最中にたくさんのごみが落ちていたら、とても嫌な気持ちになるだろう。しかもごみが落ちていることが当たり前になるのも、心の衛生上よくない。そんなことを思うと、ごみ拾いをすることはとても大切な活動なのだと感じながら続けることができた。

 学校にごみが落ちているなら、ボランティア活動の絶好のタイミングだろう。特に4年生ぐらいの社会科でごみについて学習のカリキュラムになっている学校がほとんどだ。学校によっては“ビオトープ”という生き物のすみかを積極的に作って、観察する活動が行われているところもある。ただ学ぶ場所になるだけでなく、保存するために雑草を刈ったり、ごみを取ったりする活動も合わせていけば、よりよい学びになるだろうね。

 社会科では、小学6年生から歴史について学ぶ機会がある。小学校で学ぶ内容だけではあまり深く学ぶことはできないが、今イスラエルとパレスチナ自治区との間で起きている戦争についても、歴史を学ぶことによってより理解が深まる。学校では、①授業で“初めて”歴史について学ぶ、②その後ニュースなどで広げていく、という流れになっているが、反対に、①世の中のことをニュースや新聞などで知る、②知ったことを学校でさらに深めていく、といった学びの流れの方が、みんなもより追究/探究できるのではないかと思う。(これ、結構大切なこと言っているよ)

 ちなみに、イスラエルとパレスチナ自治区(ハマス)との戦争について、みんなはどれくらい知っているかな。これも、まずはテレビやユーチューブなどの解説を聞いてみるといいかもしれない。知ると「へぇ、そんな歴史があったのか」という大枠を掴むことができるだろうし、そこから学校でさらに学びについて深めていっても面白いのだろうと思う。戦争について知ることは、命の尊さを学ぶことにもつながるし、決して“対岸の火事”ではないことだからね。

 少しまとまりのないブログになってしまったが、学校に何を学びに行っているのか?その答えの一つ、「命の尊さ」について書いてみた。学校に行く意味がいくつもあると、それはそれでいいことだと思うよ☆

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