みんなは「イソップ物語」と聞くと、どんな話を思い浮かべるだろう。「アリとキリギリス」や「ウサギとカメ」「北風と太陽」「金の斧」「王様の耳はロバの耳」など…、題名を聞いただけで、その内容を思い浮かべることができる作品が数多く存在する。イソップという人が作ったとされる物語集なのだが、その歴史をさかのぼると、なんと紀元前6世紀!今から2500年以上も前の話だというのだからすごい。デジタル社会の現在に生まれた話が後世に残るのなら分かるが、印刷技術もなかった当時から、紙や石版、そして人伝いに語り継がれていき、現在、世界中の多くの人々が知っている物語となっていることを思うと、なんかとても”尊いもの”のように感じてしまう。
”過去から今にも続く”ということは、その話自体とても価値が高いということだ。それぞれの時代時代で流行の浮き沈みがあるものは、必要がなくなればいずれ淘汰される。しかし、その価値が普遍的なものであれば、いつの時代にも人々に必要とされるのだ。“昔から今にも残るもの”というのは、人類が必要だと判断した“財産”であり、きっと現代の人にとっても、非常に価値の高いものと言えよう。
今日は、そんなイソップ物語が人々に何を伝えているのか?ということを、初めて知った幼い頃とは違った視点で見ていけたらいいと思う。取り上げたい話は「金の斧」だ。
「金の斧」は、言わずと知れた名作で、学校の道徳の教科書にも載っている話だ。木こりが森の中で木を切っている時に、手を滑らせて自分の大切にしている鉄製の斧を池に落としてしまう。悲しんでいると、池の中から女神様が現れて、「あなたの落としたものは、この金の斧ですか?」と金の斧を見せて聞いてくる。木こりは正直に「それは私が落としたものではありません」と言うと、次に女神様が「あなたの落としたものは、この銀の斧ですか?」と銀の斧を見せて再び聞いてくる。木こりはそれも正直に「ちがいます」と答える。すると、最後に女神様が「あなたの落としたものは、この鉄の斧ですか?」と木こりが落とした鉄の斧を見せて聞いてくるので、木こりは「はい、そうです」と答える。すると、正直者の木こりに、女神様が「あなたは正直なので、この金と銀の斧を差し上げましょう」と言って、木こりは金と銀の斧を手に入れるというお話だ。
このお話から学ぶことは、『素直でいると、人生において良いことがある』ということだろう。いいことの象徴として「金の斧・銀の斧」が表現されているのである。現実世界ではそれが“友達からのプレゼント”であったり、“優しい声かけ”であったり、“ステキな笑顔”であったり…。正直な人というのは、周りから信用されるので、確かに納得できる。人生の中で他人から受けるであろう数多の“得”や“恩恵”なるものを、金の斧・銀の斧というものに集約するこのセンスこそが、イソップ物語の素晴らしさであろう。
さらには、このイソップさん。紀元前6世紀に「奴隷」として生きていたというのだから驚きだ。イソップさんが生きていた当時のアジアの地域には身分制度が存在していた。奴隷というと、自分の生活もままならず、今日食べるものにも困り、生きていくのが精一杯というイメージがある。きっと、イソップさんもそのイメージと大きくは変わらない生活を送っていたのではないだろうか。そんな生活をしている中で、”人生における普遍的な価値”を発見(体現)し、それを発信するというのは、本当にすごいことだ。イソップさんは観察眼があり、とても賢い人だったのだろう。
この話には、後日談がある。正直者の木こりの知り合いが、その噂を聞きつけて池に行き、わざと自分の斧を池に投げる。すると、池から女神様が現れて、正直者の木こりの時と同じように「あなたの落としたものは、この金の斧ですか?」と尋ねる。木こりの知り合いは、「はい、そうです。それはわたしの斧です」と嘘を言う。女神様は池に戻っていき、金の斧や銀の斧どころか、自分の斧ですら、手元に戻ってこなかったのである。
私が小学校でこの教材を使って道徳の授業を行った時、たしか「自分が落としてしまったんだから、鉄の斧が返ってきただけでも感謝しないと」と言っていた男の子がいた。確かに。普通に読んでいると“金の斧と銀の斧の分、得をした感”があるけど、そもそも池に落とした鉄の斧って普通戻ってこないよね。そこまでありがたいと思える人って、人生における『プラチナ(白金)の斧』なるものを得られるのかもしれない☆
信じるか信じないかは…あなた次第(^^)



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