「あいさつ」について

学校

 あなたは「あいさつ」を大切にしているだろうか?

 学校生活の中でも、いたるところであいさつを耳にする。朝の「おはよう」に始まり、「ありがとう」「どういたしまして」「いただきます」「おねがいします」「さようなら」など。道徳どうとくの授業でも、あいさつをテーマにした話がどの学年でもある。それくらい大切にしていこうというものなのだろう。

 わたしは、あいさつの良さを感じている。だからこそ、あいさつをしっかりやるようにしている。そして、大袈裟おおげさかもしれないが『あいさつ1つで、その人がどれくらいの器の人間なのか』を見ている。今までの経験上、この目に大きな狂いはないと思っている。今日はそんなあいさつの話をしていこう。

 私が教師をしていた頃の道徳の授業で、あいさつをあまりできない人に、その理由を聞いたことがある。よくあったのが「恥ずかしいから」「相手が返してくれないと嫌な気持ちになるから」「自分に自信がないから」という意見。分からなくないよね、そう思う気持ち。ただ、それらのほとんどの意見は、“その人の都合”であることが多い。ずかしい、自分に自信がない、というのは自分自身の問題であって、あいさつというのは、話すきっかけを作ったり、相手を思いやったりする気持ちから生まれる、“コミュニケーションのためのもの”だ。にもかかわらず、自分がやらずに相手にばかりやってもらおうというのは、そもそも相手を思いやる気持ちに欠けている。そう、あいさつって、『相手をどれだけ思いやれるか』という気持ちの部分が表れるものだと思うんだ。だからあいさつ1つで、その人の心の在り方が分かるってワケ。そして、「相手が返してくれないから自分もしない」という意見。一度自分を客観的に(外側から)見てほしい。想像してほしい。結局のところ、あいさつが返されなくても、あなたがあいさつをしっかりしていれば、少なからず自分の行動によって、人のために行動をとっていることになる。あいさつをして、コミュニケーションを生み出しているその行為自体にとても価値がある。そのあいさつをしない人のせいにして自分の価値を下げてはいけない。人のせいにするのではなく、もしその人と話せる関係なら、一度「あいさつしようよ」って声をかけてみたらどうだろうか。あなたが本当にあいさつを大切に思っていて、その人のことも大切に思っているのならね☆

 みんな知ってる?学校の先生だって、職員室しょくいんしつであいさつをちゃんとできる人ってそんなに多くないんだよ。これ、残念だけど本当の話。“ちゃんと”って言うのはね、『伝わる大きさの声で』『相手の方を向いて』そして『その言葉に気持ちを乗せて』というところ。多くて大変だなんて思わないで。こんなのは習慣だから、もうかれこれ30年くらいやっている私は、全然苦でも何でもない。逆に相手を認識しているのにあいさつしないなんてことの方が想像もできない…。

 以前、職員室での先生同士のあいさつが本当に“しょーもなかった”ことを見かねて、友達の先生と話したことがある。私は、朝一番に学校に来ていたので、朝はすべての先生を迎える立場だった。職員室に入られた先生があいさつをして入ってくると、よほど仕事を急いでやっている時以外は、その先生の方を向いてあいさつを返していた。学校から帰る時は、職員室の出入り口のところでまだお仕事をされている先生方の方を向き、ちゃんと「お疲れさまでした。お先失礼します!」と言って帰っていた。それをしない日はなかったと思う。友達の先生は私のその行動を気づいていて「先生はあいさつしっかりやりますね」と言ってくれた。自分が大切にしていることをそう言ってもらえたことがすっごく嬉しかった。そしてその先生にこう話した。「だって、気持ちを乗せて言ってるからねっ」と。「お疲れさまでした」と言っている以上、相手に対してお仕事お疲れ様ですという気持ちで毎回言っていたし、お先に失礼しますという気持ちをちゃんとその言葉の中に入れていた。だから自然ときれいな礼にもなっていただろう。給食の「ごちそうさま」だって毎日そうだった。「感謝」の気持ちと、「ごちそうを頂きました」という思いをちゃんと込めてやっていた。

 あいさつって本当にその人を表していると思う。どれだけ人を大切にしているのかよ~く分かる。今までそんな風に考えてなかったなぁ…というあなた。これからでいいじゃん☆人を大切に思い、言葉にはその言葉通りの気持ちを乗せてみよう。全っ然面倒くさいことじゃない。自然に続けられるし、なにより、人生絶対に楽しくなるから♪

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