“ルール”について

学校

 今、あなたはルールの中で生きている。日本人にとって最も大切なルールと言えば日本国憲法にほんこくけんぽうだ。中学の社会科では“国の最高法規さいこうほうきと表現されているよね。その日本国憲法の内容をもとに、さまざまな法律ほうりつが決められている。私たちは世の中にたくさんある「〇〇法」という法律の下、日々の生活を送っている(あまり意識して生活しているわけではないけれど)。

 小学校の教師をしていた頃、私が好きな科目(教える側として)がたくさんあったが、一番好きなのは「道徳」だった。なぜかと言うと、道徳はその毎回がその子の“自己紹介”だと思って意見を聴いていたからだ。「まぁそう考えるだろうね」という常識的じょうしきてきな意見もあれば、その子の新しい一面を知る意見もある。“人の心”という奥深いものを知れる教科というものは、この「道徳」以外にないと思う。

 そんな道徳の授業での話。私は授業を始める時、いつも必ず『質問』をしていた。その授業に関係のある質問だ。ちょうどその日にした質問、それは「ルールって必要だと思う?」小学校3年生の30人のクラス。結果は、26人は「必要派」。4人は「不必要派」。不必要だという子に聞いてみた。「何で必要ないと思うの?」「だって、必要ないなぁって思うルールもあるから。」まぁ、確かに。そこで私は、「それは、ルール自体が必要ないって話ではないよね。必要なルールもあるって思っているのなら、ルールは必要ということじゃないのかな?」とたずねてみた。そしたら、その子も含め4人とも「やっぱりルールは必要だなと思う。」という意見になった。

 では質問。今これを読んでいるあなた。
 ルールは必要ですか?

 ほとんどの人が「必要」と答えるのではないかと思う。ここで私がみんなに問いたいのは、「ルールは必要である」ことは前提として、では『なぜ必要だと思うのか?』ということだ。この返答には、さまざまな個性が出そうで、とても面白い感じがするね。私はその授業の最後に、「先生はね、世の中の弱い人を守るためにルールがあるんだと思うなぁ」と小学3年の子どもたちに伝えた。今こうして生きている『人間社会』って、自然界とは違う。もちろん、”競争”があり、“弱肉強食”であるなど似ている部分はある。しかし、『理性』をもったこの人間社会では「人が等しくもっている“生きる権利”を守る」ことを目指して、ルールを決め、そのルールを多くの人が守っている。

 「日本は良い国だ」と、大半の外国の人から思われている。その理由は「治安がいい」「豊かである」「人が優しい」などだ。私はそれらの意見に賛成する。「治安がいい」ということはとても大切なことだ。治安が悪いと一生懸命頑張って築き上げた資産が盗まれたり、命を脅かされたりする。だから、日本に住む一人として、「治安がいい」ということに関して、大いに胸を張っている。自分がやりたいことに夢中になれるには、安心安全な環境が必要だからね。しかし、命という点で言えば、日本は自分で自分の命を絶ってしまう人がとても多い国としても有名である。簡単に言うと、“ストレスが多い国”でもある。

 さて、自分の学校でのクラスを見てみよう。

 あなたのクラスは、一人一人がもっている権利がおびやかされることなく、気持ちよく過ごせているだろうか。誰かに邪魔されることなく、思いのままにやりたいことを精一杯やれる環境だろうか。私は、クラスのルールをたくさん決めて、息苦しくなることは賛成しないけど、“心得”的な感じで『方針』を決めるのはいいことではないかと思っている。小学校の社会科の歴史の授業では聖徳太子について学ぶ。聖徳太子がしたことの一つ「十七条の憲法」はとても参考になるし興味深い。世の中にある法律や条例などの細かいルールをクラスで決めるのではなく、どんなクラスにしたいか、自分たちの言葉で表すというのはどうだろうか。そして、クラスが徐々に成熟していく中、自分たちで決めた「クラス憲法」にとって足りない部分を加除修正するために話し合いをすることを通して、“クラス社会の一員としての自覚”がより育つのではないかと思う。

 ニュースを見ると、“ブラック校則”というものがたまに話題になる。髪型や服装などについて話されているが、時代が大きく変化している証拠だ。ルールに従う理由が「そういうルールだから」では自分事になっていない。ルールがあるのなら、そこに自分なりに意味を感じながら守っていきたいし、「このルールおかしいな」と感じるのであれば、「守らない」ではなく、「ルールを変えようとする」という選択が大切だ。そんなことができる人になるためにも、まず、自分のクラスを『自治』してみるのはどうだろう。そういう行動こそが、これからの世の中を生きていくために必要な力を育むに違いない。

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