「当たり前」という言葉。みんながよく使う言葉なのではないだろうか。この言葉の語源を調べてみると、中国から「当然(とうぜん)」という言葉が日本に入ってきて、それを当時の日本人が「当前(とうぜん)」という字を当てて、それを訓読みしたことによって「当たり前」が定着したということらしい。
「当たり前」という言葉の対義語を知っているだろうか?「当たり前」という言葉が「そうであることが普通」という意味であることから、「そうであることが普通ではない」つまり「あることが難しい」さらに短くすると「有り難い(ありがたい)」になる。『ありがとう』という言葉には“嬉しい”や“感謝”の心があるが、その気持ちの根っこに「それは当たり前のことではないのだ」という思いがあっていいなと感じる。
では、当たり前ではないことって、どんなことがあるかなぁ?
探そうと思わなくても、実は今、目に見えるもののほとんどが当たり前ではないのかもしれない。私は今、ダイニングテーブルでパソコンを打っているのだが、今の外気温度を調べてみると2℃らしい。こうして家の中にいるので寒さをしのぐことができ、さらには温かくなるようにガスファンヒーターを使い、厚手のパジャマを着て快適にしている。これを「当たり前じゃん」と言ってしまえばそれまでだが、冬の厳しい寒さがゆえに命を奪われた過去の人々もいたことを知っていれば、「ありがたいことなんだなぁ」という気持ちにもなれる。自分が恵まれている存在であると思うと、どこからか心が満たされて、気持ちが潤っていくような気がする。
学校で生活をしているであろう君たちに、特に関係のある話を2つしよう。
1つ目は“授業の号令”の時のことだ。私は教師をしていた時、授業の号令をとても大切にしていた。「いかにも日本人だなっ」なんて思わないでほしい。私、せっかく放つなら、単に形式的なものになるのではなくて、言葉に“気持ち”を乗せたいタイプだ。「お願いします!」という時、声の大きさはそんなに気にしないが、“お願いします”と気持ちを込めながら言えるといいなと思う。もちろん対象は教師、一緒に学ぶクラスメイト、関わるモノなどに対して。そして、授業の最後の号令「ありがとうございました!」も先に述べたように、決して当たり前ではないという、感謝の気持ちをもって言えるといい。そういう気持ちがあると、自然と礼も背骨が丸くならないきれいな礼になってしまっていたりする。これは授業と放課の区切りにもなる行動だから、ぜひオススメしたい習慣だ。
2つ目は“先生方への感謝”だ。今回「学校生活で」という前提なので、先生への感謝の気持ちをどう伝えるかというところに注目したい。3月に学年が終わる(または卒業する)ことを考えると、最後にどう感謝の気持ちを伝えるのか、もう考えていてもいい時期だ。クラスで何かサプライズをするのもいいと思う。ただ、その時には自分が思う「こうしたらいいなぁ」という理想の形にならないこともある。話し合いをすれば結局最後は多数決で決まり、自分の意見が消えるということもあるだろうし、リーダー的な子たちがどんどん勝手に(良く言えばリーダーシップを発揮しながら)進めていくパターンもある。もし、あなたがそういったことで気持ちが落ち込んでしまっているとしたら、提案がある。「自分がクラスの一人として“今できること”に集中すること」だ。ゼロイチで考えて、「だったらもういいや~」と投げやりになってしまう人もいる。でも、『大勢の中の一人』とはどういう存在なのかを学ぶよい機会でもあるのだ。そして、本当に感謝の気持ちがあれば“手紙”を渡すのはどうだろうか。教師をしていた時に「何のために字を丁寧に書くの?」「何のために漢字を覚えるの?」「何のために作文を書くの?」…と、数多くの“何のために?シリーズ”に出会ってきたが、それらの答えの一つが“心のこもった手紙を書くため”だよ。十分な理由じゃないかい?その手紙に今まで学んだことを、技術を、思いっきりぶち込んでみなよ!どういう書き出しがいいだろう…。段落を正しく使えているだろうか…。少し背伸びをして難しい言葉を使ってみてもいいのではないだろうか…。考えて考えて、何度も書き直して気持ちを込めて手紙を書いてみたらいい。今の時代、パソコンで下書きをして容易に修正できるから、すごく素敵な手紙ができるかもしれないよ。手紙って”最高の感謝の伝え方”なんじゃないかなぁ。渡された先生が何度も読み返せて、ずっと持っていてくれるだろうし。
当たり前じゃない、目の前のことに感謝♪目の前の人やモノが今までと違って見えるよ、きっと☆



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