年始のある日。少しゆっくりする時間ができたので、YouTubeで動画を見ていた。私は、クラウドファンディングに興味をもっている(というより西野亮廣さんの影響が大きい)。
昔、「マネーの虎」という番組があった。その番組は、今のクラウドファンディングに似たもので、出資してくれる人に自分のビジョン(将来のありたい姿)をプレゼン(発表)して、活動費となるお金を借りるというものだ。その「マネーの虎」のような構成の動画があったので、どんなものかと興味本位で覗いてみた。すると、年齢は高校生なのだが高校を中退して、今(と言っても動画なので“当時”が正しい)は大学受験をしようとしている男の子が出演し、出資してくれる人に自分のビジョンをプレゼンしていた。高校は東京都内のかなりの進学校だったらしい。プレゼンの時に有名な文学の一部を引用していたので、よほど今までに本も読んできたのだろう。しかも言葉の一つ一つが洗練されていて美しく、とても高校生とは思えないような世の中を達観した男の子だった(もはや“男の子”という表現にすら違和感を覚えてしまう)。
その子に対して、何人かいる出資者の中の一人が「君にとって“天才”の定義は何?」と質問をした。それに対して、その男の子は「優しさ」と言った。「天才には余裕がある。余裕があれば人に何かをしてあげられるから優しくなれる」という意味合いの言葉を添えていた。天才というのは確かに定義が難しい。「天才=IQが高い人」という考え方は古くからあるが、現実的に考えてみると人生の大きな目標は“幸せ”だ。その”幸せ”自体人それぞれ定義が違うのだが、IQが高いからと言って、幸せになれるわけではない。ただ、「私は幸せです」と言ったからといって、「じゃああなたは天才です」ともならないように思う。『天才とは優しさ』と言ったその男の子の言葉が妙にしっくりきて、納得できた自分がいた。
私は小学校の6年生の時に、この“優しさ”という言葉と真剣に向き合ったことがある。今でもよ~く覚えている。それは決して「天才」「才能」などという華やかな場面では決してない。当時、私は友達からお願いされたことや、だれもやりたくなさそうなことに対して「いいよ、オレやるよ」と言うタイプだった。良く言えば“優しい”のだが、悪く言えば“断れない”タイプ。そんな性格の私は学級委員もやっていたし、友達からもそれなりに信頼されていたと思うのだが、6年生の時、何となくそんな自分に違和感があった。「いいよ、いいよって言うのも大切だけど、ダメだよ!って言う必要も場合によってはあるよなぁ」と考えるようになった。相手のことを本当に思った場合、「これは君がやったほうがイイよ!君が頑張る時だよ!」という場面もある。相手の気持ちを考えすぎるのではなく、正しいことをビシッと言うべき時もある。そんなことを感じていた当時の私は、「そうだ、“本当に”優しい人になろう」と思ったものだ。
とは言え、その後人並みに思春期を迎えたせいもあり、本当の優しい心をもてなかった日々もたくさんあった(人間だもの 笑)。ただ、教師として子どもたちと向き合った時は、「本当の優しさをもって、子どもたちと接しよう」と誓ったものだ。それでもまだまだ未熟な心の教師だったと振り返ると思うのだが…。
みんなの周りには、心が広く、人のことを大切にしているなぁという子はいないかい?言うべきことはちゃんと堂々と言えるって子はいないかい?「優しさ」って終わりがない目標でいいなって私は思う。『目標』って“クリアできるもの”もいいけど、“終わりがなくずっと追い求めることができるもの”もいいなって。
「天才」と検索すると、「天才 名言」というサイトが出てくる。そこには、世界的に有名な人から、日本人の有名な人まで、あらゆるジャンルの人の言葉が紹介されている。特に有名な言葉でいうと、トーマス・エジソンの『天才は1%のひらめきと99%の努力である』だ。私が見たサイトには、それ以外にもアインシュタインやイチロー、チャップリン、手塚治虫…など、とても有名な人たちが名を連ねていた。その有名な人たちに共通しているのは、「あることに心を奪われて夢中になり、想像もつかないほどの熱量で向き合い続けた」ということだろうか。
そもそも天才である必要もない。中には才能があり過ぎて孤独を味わう人もいる。ただ、“自分の人生は自分の心が決める”のだと改めて思った。これからもみんなには『変化し続ける自分』に向き合い、何かに夢中になる人生を歩んでいってほしい。その人生のキーワードとして「優しさ」という言葉も忘れずにねっ!



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