市民としての自覚、養ってる?

学校

 朝、学校に行く。チャイムが鳴る。時間割通りに授業が始まる。クラスのルールも学校の校則も、すでに決まっている。

 「なんでこうなっているんだろう?」そう疑問に思ったことはないだろうか?

 実は、学校って“小さな社会”だ。そしてみんなはその社会に“通っている人”じゃなくて、“そこで生きている市民”なんだよね。市民って大人のことじゃないの?選挙ができる人のことじゃないの?いいや、ちがう。市民ってのは「きまりを守りつつ、きまりについて考える人」「自分の考えを言葉にして、だれかと話し合う人」のことだ。

 もし学校の中で、誰かが決めたルールにただ従うだけなら、それは社会に出るための練習になんてならない。今日の話は、勉強の話でも成績の話でもない。むしろそれ以上に大切な「社会の一員」として生きていくための話だ。では、どんなところで市民としての感覚を養っていけばいいのだろうか。

1.クラスのルール決め
 クラス内には、担任の先生がクラスを円滑に進めるために必要だと考えたルールがはじめに存在することが多い。児童生徒であったとしても、クラスのルールで「これっておかしくない?」と感じることがあるのであれば、担任の先生に話をしてクラスのルールをアップデートする機会をもらうべきだろう。決められたルールを守ることはとても大切な行いである(当然ルールを守ることは大前提だよ)。しかし、それだけでは市民としての自覚としてはまだ弱い。どうしたら今の学校生活が“よりよく”なるのか。そこを追求し、常に更新するという能動的な姿勢が大切になってくる。「やりたくないことをしない」という価値基準ではなく、どのように過ごせばクラスみんなが快適に人として成長していけるのかを考える。そして、あなたが何かしらの形で自分の意見を発信する必要がある。選挙で投票するだけでは足りない。自分がどういう思いをもっているのか、ちゃんと“自分の言葉”で思いを届ける。それこそが必要な市民としての自覚だ。
 道徳や学活の時間など、自分の思いを発信することも、市民としては至って当たり前の活動だといえる。

2.係・委員会の活動
 「やらされた仕事」になった瞬間、市民性はその成長スピードを止める。係や委員会は社会を回すための、まさに“仕事”だ。あなたの今の活動は仕事だったとしたら給料がもらえるレベルだろうか?もちろん、学校では係や委員会の活動をしてもお金はもらえない。しかし世の中でいうお金は「信頼への対価」だ。つまり学校での係や委員会の活動も「信頼」をゲットできているのであれば、それは立派な仕事として成り立っているのだ。大人の社会ではね、一般的に大企業と言われる大手優良企業でも、そうでなくても、自分のやりたい場所で働けるなんてことは少数派であり、「与えられた仕事にどれだけ自分をフィットさせるか」の方がよっぽど大事なる。もちろん、誰と仕事をするのかなんて選べるはずもない(希望の仕事は言えるだろうが、希望パートナーなんて言えないよ~)。だから、「○○ちゃんと一緒じゃなかったからもう嫌だ」とか、クラスの中でたまに言う子がいるけど、市民感覚からすると非常に幼稚で残念な考えだと言える。仲の良いことは素晴らしいことだ。それならばお互いに人間力を高め合う関係であればいいし、いっそのこと選挙で当選して、児童会や生徒会で一緒になればどうだろう。

 係・委員会もどんどんアイデアを考えて提案していったり、呼びかけをしたりしていけば、本当に面白くなる。何か行動してみよう!自分が周りの人に対してどれだけ“貢献できていないか”を知ることができるから。私が小学校の担任をしていた時は、帰りの会の「係からの連絡」で毎日いくつもの係がクラスに向けて発信していたけど、楽しそうに係をやっているのは、基本的にそうやって自ら動いていた子たちだ。『楽(らく)は楽(たの)しくない』とよく言っていたものだ。

3.意見をぶつけ合う
 学校では、意見が対立することを避けるために言いたいことを言わなかったり、対立したらその後気まずくなったりすることがある。日本の文化として“事なかれ主義”や“同調圧力”といった、“協調性”の負の側面に向かってしまう傾向は未だにあるが、意見の対立は人間の対立ではないし、それは“ぶつけ合い慣れ”をしないと身につかない。感情論になってしまうのは、たいてい「自分の“考え”を否定されただけなのに、自分という“人格”を否定されたことによる勘違い」から生まれることが多い。物事を整理し、冷静に議論する経験値を高めていってほしい。これは人生をかけて学ぶべき力だと思う。早いに越したことはないし、人に意見を言える人生の方がよっぽど幸せだ。相手の意見を認める寛容さがあれば、相手の意見に納得するのも大切。「確かにそちらの意見の方がよさそうだ」と素直に認めることで、人としてのあなたの価値がグングン成長し、より信頼される人物になるだろう。

 中学校までで、義務教育は終了だ。であるならば、中学校卒業までを一つの期限として、自分の市民としての在り方を養っていくのはどうだろう。結局今回伝えたことも、“目の前にあること意味をもたせて一つ一つ真剣に向き合う”に尽きる。特別なことをしなくちゃって話ではないんだよね♪

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